見出し画像

日本の美しい建築①ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)/兵庫・芦屋市

芦屋に残る”フランク・ロイド・ライト”の贈り物            近代建築における三大巨匠の一人、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(1876〜1959)。その作品群のうち、ニューヨークのグッゲンハイム美術館などアメリカ国内にある8件は、去年(2019年)世界遺産にも登録された。ライトは日本との関わりも深く、生涯最高傑作の一つとされる旧・帝国ホテルはその一部(玄関と入り口ロビー)は愛知県犬山市の博物館「明治村」で見ることができる。

フランクロイドライト肖像

フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)

旧帝国ホテル

愛知県犬山市「明治村」の旧帝国ホテル

 フランク・ロイド・ライトの残した建築群は現在アメリカと日本にしか現存しない。日本には4件が残り、その一つが兵庫県芦屋市の住宅街に立つ「ヨドコウ迎賓館」(旧山邑邸)だ。巨大な洋館と言っても不思議なほど威圧感はなく、芦屋の住宅街の中に溶け込んでいる。坂道の中腹に入り口があり、長いスロープを登っていくと玄関に行き着く。外壁はライトがこよなく愛した栃木県産の「大谷石(おおやいし)」で覆われ、幾何学的な模様が施されている。これこそ”ライト建築”の真髄といった佇まいだ。

画像5

車寄せと玄関

画像4

・設計断面図

生き続けるフランク・ロイド・ライトの傑作、その内部         ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)はライトが来日した翌年の1918年(大正7年)に設計された。酒造業を営む資産家、山邑家の別邸として設計されたものだが、ライトは着工に立ち会っていない。関東大震災(1923年)の直前に急遽アメリカに帰国してしまったからである。その後、ライトの薫陶を受けた弟子の遠藤新と南信によって建築が進められ、1924年(大正13年)に竣工した。その後、1947年(昭和22年)になって淀川製鋼所が社長宅として購入し、1989年(平成元年)から「ヨドコウ迎賓館」として一般公開されている(週末と毎週水曜日のみ公開)。大正年間に建てられた鉄筋コンクリート造の建物は歴史的にも貴重で、国の重要文化財にも指定されている。では、早速内部を覗いてみよう。

応接室


画像7

2階にある応接室。全体が左右対象に作られ、直線で区切られたデザインが美しい。天井には部屋をぐるっと一周するように等間隔で小窓が配置されている。床に置かれれた六角形のテーブルやチェア、照明などにも細部まで美意識が感じられる。

画像7

(写真下)応接室のある2階から3階へ上がると、長く美しい廊下が目に飛び込んでくる。飾り銅板をはめた窓がずっと奥まで並んでいて、床の上に美しいシルエットを浮かび上がらせる。

画像9


画像10

(写真下)廊下をあがると、8畳・6畳・10畳の3間続きの和室が広がる。植物の葉をもチーフにした飾りや小窓が、西洋と和洋の見事なシンフォニーを奏でている。

画像10
画像11

(写真下)4階は食堂と厨房。3階とは一転して西欧風の空間、中央の暖炉があたかも教会の祭壇を思わせる。

画像12

(写真下)4界の食堂を出たところにある屋上ルーフ。周辺の自然と融和した屋上からは、六甲の山並みや芦屋の市街地、遠くには大阪湾の風景も一望できる。


画像13
画像14

マンション建設の危機を救われたヨドコウ迎賓館            戦火を生き残ったヨドコウ迎賓館だったが、戦後に大きな危機を迎えることになる。高度成長期真っ只中の1971年、ヨドコウ迎賓館が取り壊されて跡地にマンションの建設計画が浮上した。ライト研究の専門家などから反対運動が起こり、オーナーの淀川製鋼所に保存を要望した。代表者が同社の井上社長を訪ねて存続を訴えると「文化財保護のため、マンションの建設計画は撤回しましょう」と鶴の一声で保存が決まったという。関係者の努力が実り、井上社長がヨドコウ迎賓館に愛情を感じた瞬間でもあった。それから数年が経った1974年(昭和49年)、ヨドコウ迎賓館は国の重要文化財に指定された。


画像16
IMG_9527のコピー

ヨドコウ迎賓館を上から俯瞰すると、建物全体が中央部で屈曲しているのがわかる。これは敷地にあたる山の尾根の形に沿うよう作られたもので、そこには自然の地形や風土に逆らうことなく、むしろそれを巧みに取り込もうとした設計者ライトの思いが込められている。日本をこよなく愛したフランク・ロイド・ライトの贈り物「ヨドコウ迎賓館」、設計からおよそ100年がたった今も往時の輝きを失うことなく、芦屋の丘に静かにたたずんでいる。

画像18

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?