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読書記録「風よ あらしよ」

こんばんは。子どもの頃、両親が読む本に関して口出しせず、割と自由にさせてくれました。漢字検定も2級まではその貯金で何とかなりました。準1級の壁は厚かった。2級でも四字熟語が苦手です。どんな文章に四字熟語を入れるのか。使わないと覚えないのが言葉です。

さて本題。あれだけ待って借りた本も、読み終えると達成感とともに返さなければいけないのか、という一種の寂しささえおぼえます。

村山由佳「風よ あらしよ」(集英社)

今劇場版が上映されてますが、その前にNHK BSプレミアムか何かでドラマ化されてました。見落としてたぜ。
知ったのは、劇場版の予告です。市内のシネコンでは上映されないのが残念(確認済)。

伊藤野枝という女性について知ったのは、中学か高校の頃です。具体的に何をしたのかは知らず、「大杉栄って人と結婚しなかったのかなあ」と別姓で行動していたのが不思議に感じてました。その程度です。

本能のままに生きたというか、東京の女学校時代に知らない間に婚約させられてただけじゃなく、籍まで入れられてたなんて、今の時代には考えられない。それを不服に思い、自分の力ではどうにもならないとはいえ、離縁する(要はお金が動いたってことです)。

その後、女学校の英語の先生のところに転がり込むなんて、これまたスキャンダルだ。ふたりも子をもうけたとはいえ、最後まで先生と教え子みたいな距離感だったらしい。

「青鞜」時代に女性解放運動に関わったこと以上に、後のパートナーとなる大杉栄との時間が濃く描かれている。入籍してないから、パートナーとしかいいようがない。

大杉栄がモテるわけだ。「自由恋愛」と称して、(籍を入れてない)妻、伊藤野枝、新聞記者の神近市子との四角関係でドロドロだ。男の都合のいいことばかりが並んでる。神近市子が大杉栄を襲撃する「日蔭茶屋事件」で、一応の決着を見る。伊藤野枝ひとり勝ち。

私なら、恋愛スキャンダルに勝っても、いつも警察に監視される生活なんて嫌だ。そんなこと言ったら伊藤野枝に怒られそうである。
大杉栄も伊藤野枝も堂々としている。ところどころ、新聞記事の引用が見られるけど、大正の新聞では一個人の生活が記事にされるのか。

何故か伊藤野枝のもとから、女性は逃げていく。平塚らいてうや野上弥生子といった人たち。日蔭茶屋事件以降、常に大杉栄と活動している「同士」たちがいる。だから自分のことなど構わずに、夫(パートナー)の活動にも何も言わないのだろうと思う。男と女の、甘い恋愛感情を超えた何かがある。

伊藤野枝という人は、好き嫌いがはっきり分かれると思う。結婚して、自分の家庭を守りたいという考えの人とは真逆を生きたからだ。それが大正時代の話だというから驚く。

久しぶりにこんな長編小説を読んだ。映画ではどんな映像になるんだろう。

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