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主な登場人物

こんばんは。朝早起きして高尾山を登ってきました。3月に近づき、もう本当にシモバシラを見ることもなく、春を待つばかりです。だいたい10時頃に頂上に着き、早すぎるお昼ご飯を食べます。

……普段の生活にも活かせればいいんだけど。

小中学生時代、父が読んでいた某青年マンガ誌(青年向けなのかもわからないけど、当然同級生たちは読んでなかった)に、柴門ふみのエッセイが連載されてました。あの「東京ラブストーリー」などで有名なマンガ家さん。登場人物は家族(夫の超有名マンガ家や娘、息子)だけではなく、編集さんとか身近な人たちでした。それを面白い面白いと読んでたわけです。

今じゃ絶対あり得ない話ですよね。著名人が結婚を発表すると、「お相手は一般の方なので、詳細は差し控えさせていただきます」というのが多い。

そもそも令和の現在、身近な人をネタにするエッセイを書いてる人なんているのだろうか? 何かを書くことを専業とする人だけではなく、芸能人の人とかも含めて。

私も両親と一緒に住んでいるので、家族って身近で面白い存在だなあと思います。子どもがいたら、どう考えていただろう? 子どもの顔写真にスタンプをつけて、SNSに投稿してる人がいるくらいだから、繊細な問題なんだと思います。アレってどうなんだろう? 子どもが○○できるようになった!のアピールもあるし、犯罪抑止のために顔は隠したい、そういう思いがあるんじゃないかと思います。

家族が危険にさらされないためには、書くことも写真をアップすることも、控えたほうがいいんじゃないかって世の中になってる気がします。子ども年賀状は、また別の話。40代独身はすっかりおばちゃんになってます。

不特定多数の人に読まれる文章も、SNSで子ども写真を載せるくらい、神経使うというか、悩みながら書いてます。無難なのは、自分の目で見て面白いと思ったこと、行った場所の記録、日頃から自分はこんなこと考えてる、とか、内側から放たれたメッセージでしょうか。

恋愛の短歌も小説も、自分の内側からわき出たエネルギーから言葉になるのでしょう。それが「こんな恋愛してみたい」と思わせる。残念ながらそんなに心豊かになれてない。身近なところから「面白い!」と感じたことを、自分目線で書くことにします。

家族をネタにするのは、令和ではアウトでしょうね。

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