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会計士受験失敗28才男性職歴なしが収入1本のエンジニアになってそれをポイするまで

はじめに言い訳

本当は読んだ人が「こんな感じで自分も」と再現性感じるものを書くべきなんでしょうが、正直ほぼ運だった気しかしないので「こういう人もいるんだな」程度に読んでもらえれば。。

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会計士受験生のころ

受験はじめた時期はたしか大学3年終わりか4年ぐらいだったはず。
そのころ「サラリーマンしてるイメージが湧かん!」とまったく就職活動をしていなかったんですが、
何か資格があればまともに生活できるんではないか!
じゃあ色んな会社も見たいし経営学部やし簿記2級チョロかったし会計士なぞいいんではないか!
そんな消極的な理由でお金と時間をつぎ込みはじめました。

しかしながら受かりませんでした、と。

金融庁が合格者数を絞っていた期間っていうのあるけども、
そもそものモチベーションがネガティブ起因だし、加えて効率よく受かりたいみたいな甘っちょろい考えもあり、そら受からんわと。
よく言われる「正統派のやり方を愚直に黙々とする人が受かる」の反証みたいな、
色々とアクロバティックな方法論に手を出して自滅するパターンでした。
その最たるものが、短答式試験のドリルのiPhoneアプリ欲しいなと思い立って一からプログラミング独学して作って公開するという。。
(※今はもうAppStoreから取り下げたので世には存在しません)

「失敗」を自覚するまで

「受からないとヤバい」感が年々増していくのはけっこうキツく、
そういう意味では撤退の決断はなかなかできず。。。
26才5月短答(←年2回ある1次試験)を受からなかったあたりで「ああ、これはダメだな」となんとなく心の奥底で思い至っても、
26才12月短答、27才5月短答をダラダラと続けてしまいました。
で、その5月過ぎてからはもっとひどくて、実家でテレビ見るかバイト行くかの💩みたいな生活を年の暮れぐらいまで続けました。
そして年が明けて高速バスとか深夜フェリーとか乗り継いで2~3週間北日本一人旅(新潟-秋田-青森-北海道-岩手-宮城)にでかけたんですが、
その中でなんとなく心の整理がついて「失敗」を自覚しました。
バイトもその頃辞めました。(ニート!

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28才職歴なし男性、仕事を探す

北日本一人旅から帰ってきたあと、当時スタートアップのビズリーチ社で新米エンジニアだった坂本ちゃんと話す機会があり…

坂「アプリも作ってたしエンジニアなっちゃえばいいじゃないっすかー」
僕「そーねー」

そんな軽い会話をきっかけにIT系で仕事を探し始めました。

最初は、ビズリーチで役員(?)面談→1次面接をして、あっけなく落ちました。
「エンジニアやってみてもいいかな」みたいなふざけた態度だったので、そりゃそうだろうという感じ。

次は、その反省を踏まえ「働かせていただく」みたいななりふりかまわないマインドに変わり、
職歴なしを棚に上げて中途採用向けエージェントサービスに3つぐらい登録してどかどかエントリーだしてもらいました。
ちなみに当時「個人でアプリ公開」ってのがわりと響いたらしく、28才職歴なし男性でも1/20ぐらいの率で書類選考が通り面接にいきました。
その中で、恵比寿にある独立系中堅SIerのドリーム・アーツという会社に入社しました。
ちなみに、後々別の転職エージェントさんと話した際に「よくこの経歴書でこの会社受かりましたね」と言われたので、
面接した方とたまたま話盛り上がったのが大きかったんだろうなと。。

サラリーマン生活

就職してからは「拾っていただいた」みたいな恩義でわりとマジメに働きました。(電話はほぼとらなかったけど)
入社3ヶ月目ぐらいに任されたのが数億円規模の新規開発プロジェクトの下回り仕事(連絡係とか情報まとめとか)だったものの、
初期プロジェクトマネージャーが急に離れなきゃいけなくなって、開始3ヶ月目に部長様から彼の役割をぶん投げられました。
途中からは「お前アプリ作れるんだろう?」とプロジェクトのアプリ開発部分の作業も一部していました。
しかしそんな綱渡りでも、クライアント担当者やチームメンバーに恵まれ成果をあげることができました。(上司いわく"10年目でも出来るかどうかのミラクル")
そして「俺わりと働けるじゃん」という自信がつくとともに、「拾ってもらった恩義はそろそろ返せそうだ」とも思い始めました。

で、プロジェクトの大きな区切りが見えてきた辺りで「拾ってもらった恩義は十分返しただろう」とのことで身の振り方を考えました。
色々任せてもらえる反面「良い仕事とはこれだ」って背中をみせてくれる先輩もほぼいなかったので、
このままだと自分センス磨きで10年過ぎそうだなあと思い至り「辞めたい」旨を部長様、本部長様に伝えました。
すると、本部長様から「仕事しすぎだったんだ、休んでよく考えてもいいんだぞ」とご提案いただき、
「(考えていない前提なのはアレだけど、土日出勤しまくった振替休日とか有給とか溜まってるしそれも良いな)」と2ヶ月休みをもらいました。

その間、Qiitaで技術記事投稿したりしながら次の仕事を探しましたが、なかなか見つからず、、、
これは元サヤに戻るパターンかと思っていたら、
休暇おわりごろにフリーランス系業務を紹介する会社からリクルートのiOSアプリエンジニア仕事を紹介され受かりました。
きくと、月70万円ぐらいもらえると。
業務委託契約だから社会保障とか何もないのがデメリットとGoogle先生はいうけども、
社会保障とか税金とかがっつり払っても20万円以上飛ぶことなさそうだから差し引き手取り月50万円以上で金銭面的にはええやんと。
加えて、休暇明けの役員面談で
「これからはXXXプロジェクト(←僕のやったやつ)をモデルケースに部署を改革していく」(意訳:お前は良い仕事をした)
「新人だろ?給料あがるわけないじゃん」(意訳:巣立ちのときだ)
と心強い後押しもいただきフリーランスエンジニアになることを決めました。

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フリーランスエンジニア生活

フリーランスエンジニアと一言でいっても働き方は色々あって、
派遣みたいに会社に常駐して働く人もいれば、自宅でリモートワーカーな人も。
僕は主に前者で、そういう意味では働き方はほぼサラリーマンでした。
ただ、違う点は業務委託契約なので「再来月から来なくていいよ」って言われうるし、
逆にこっちが「再来月から別のとこいきます」っていえばそれで終了。
あと、プログラミング業務の業務委託契約だったので、
サラリーマン時代にサブ仕事だったプログラミングがメインになって、メイン仕事だったプロジェクト管理はやらなくなりました。
ちなみにアプリエンジニアはけっこうな売り手市場で、仕事を変える度に収入は上がっていき、最終的にはサラリーマン年収1千万円より普通に手取り多かったはず。
そんなこんなで収入面ではだいぶ潤って、
1年後には念願の一人暮らし(東京都中央区!)も始められたし、TVも55インチのでかいのを買いました。

ちなみに、行った会社はこんな感じ
・リクルートライフスタイル:すごく勉強になった。頭いい人集まるとこうなるんだっていう。
・ブログウォッチャー:上記会社の子会社。なのに驚愕するレベルの開発文化の雑さ。
・アイリッジ:開発機でMac miniあてがわれたときは頭抱えた。
・マイスタ(≒C-Channel):「いいもの作ろう」感の無さが合わなさすぎて嫌な雰囲気になってほぼクビ。
・ミクシィ:最高に良いチーム&良い会社。思い返すと申し訳なさと何やかんやで泣きたくなるレベル。

こんな感じで高給フリーターとして気楽に働いていましたが、
3、4社目あたりで「こう管理したらみんな上手く動けて良いプロダクトもできるのに」と思うことが多くなり、
プロジェクトマネージャー(ディレクター)の仕事に歯がゆさというかストレスが溜まっていきました。
それに伴って、エンジニア職ではなくそっちでキャリア積んだ方が幸せなのかもなという気持ちも大きくなっていき、
で、どうせなら予算潤沢で、グローバルで、そして個人的に興味のある「移動」に関連したプロジェクトをできる会社がいいと、
そのあたりの会社にいくつか目星をつけて仕事を探し始めました。

ただ、プロジェクトマネージャー(ディレクター)は、業務幅が広いので日本だと正社員以外あまり仕事がなく、
自分の経験・スキル的にも再就職が前提になる感じだったのでしかたなく正社員でさがし、
縁あって本田技研工業にIT企画という枠で今年2019年8月入社しました。

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再就職して今

で、再就職して4ヶ月経ちましたが、まず本田技研工業に就職したデメリットから。
・収入半分以下にダウン
・IT系会社で普通にあるインフラが普通に無くてプロジェクト効率がひたすら悪い
・IT企画って何だったんだろう。。

そんなこんなで再就職して色々ストレスはあるものの、
予算は潤沢にあるしベースさえ整えばどうにでもなる凄さはやっぱり感じています。
1年ぐらいは、通常業務をしながら畑を耕す作業かなと。。
逆にいうと、どういう畑にすればいいのかのイメージついているのはだいぶ強みのような。

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おわりに運よかったポイントまとめ

実家が首都圏
面接いきやすいので東京で就職するときのハードルが格段に低いです。
あと生活費が抑えられるので安月給でも技術本とかの自分投資にお金をかけられます。

アプリエンジニアとして目立つための敷居の低さ
素人が作ったアプリでもコンセプトさえよければAppStoreランキング上位までいけた時代でした。
これが取っ掛かりになって最初の仕事に就くことができたわけですが、今はYoutubeとかでバズらせられる何かを作るとかなのかな。。大変だと思います。

就職してすぐの仕事が連絡係とか情報まとめ
プロジェクト管理の肝は情報をいかに整理するかに尽きるので、最初にこれをさせてもらえたのは本当に運が良かったです。

色んな会社で仕事できた
会計士受験を断念したころには思いもよらないような大中小の様々な会社で働かせてもらって、
本とかでは体得できない色々なことを学ぶことができました。
資本力の絶対的なチカラとか、リクルート文化とか、鮨は美味いとか、鮨は美味いとか、逆に反面教師的な諸々とか、
これは今までもこれからも仕事をしていく上での大きな資産。

節目で良い人と出会えた
IT業界にいく背中を押してくれた坂本ちゃん(最近CTOになっててびっくり
僕を迎え入れてくれた各社面接官の方々
つらい状況でも一緒にがんばって仕事を成し遂げたプロジェクトメンバー
プロジェクトマネジメントの師匠川上さん(彼の記事、具体的アジャイル方法論で悩んでる人はぜひ)
こんなに良い出会いが多かったのは本当に運が良かったとしか思えないです。
ちなみに、良い仕事をできた人たちとはわりかし仲良くしてもらえてる気がしていて、たまに飲みながら仕事の話するのすごく楽しい。

今の会社入れた
やりたいことがハッキリしたときにそのキャリアを歩ませてくれる会社に入れたのは良かったです。
学生時代に藤沢武夫さんの本を読んで「この人すげえな」と思ったけれど、まさか彼の会社に入ることになるとは。。
あと、入社数ヶ月で憧れのヨーロッパ出張いけました(初ビジネスクラスっ!)

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