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かたちの価値って

先日、タートルズのグッズを見たくて(映画は見てない)バイト先にほど近い原宿を散歩したときのこと。結局見つからず最後トイサピエンスに行ったのですが、今のフィギュアほんとにすごいですね。
で、印象深かったのが商品のクオリティだけでなく、その価格の安さでした。圧倒的に安いと感じたのです。

ドラマシリーズ マンダロリアンのフィギュア


同じくマンダロリアンから クイール


そこそこの大きさのマンドーのフィギュア。クオリティ半端ないしブラーグカワイイ。クイールも劇中そのまま!どれも10万円いかないんです。
形やプロポーション精度はもとより、塗装の細かさよ。画像だと伝わらないかもですけど、これほんとすごいんですよ。スケール感が狂う感覚あります。映像の世界に入ったみたいな感覚になる。憧れの”ヴォリューム”のなかに、、、

巨大な撮影用背景スクリーン “ヴォリューム”


このトムホランドの実物大胸像、現代彫刻や映画の特殊メイクレベルのクオリティで50万。映画の特殊造形の技術を用いる現代彫刻のロンミュエクと同じ技術!めちゃ安いですよこれ。

スパイダーマントムホランドの胸像


おもちゃとしてはもちろん高いですけど、立体を作る難しさを知っている私(彫刻家)にとってこれは破格です。
3Dスキャン技術があるじゃんと思うかもしれませんが、本物をスキャンしたところで、それはそのまま美しい形をしていないので見るに耐えるものでないことがしばしば(かつて彫刻家ヒルデブラントが指摘したことと同じだと思います)。プラモデル、例えば飛行機のスケールモデルを例にしても、絶妙に本物と同じプロポーションじゃないそうです。そのまま作るとスケール感やかっこよさが出ないんだとか。

原型を作るだけじゃなく、塗装や仕上げ、量産の方法など、それを売り物として成り立たせる諸要素にどれだけの人が関わっているのかを想像すると、量産品であるフィギュアがその価格以上の予算が物理的にかかっていることを当然念頭に置いたとしても、やっぱり安いなあと思うわけです。

でも、きっと欲しくない人にとっては、数万円のフィギュアでも高すぎるということも分かります。ものの価値の不思議ですね。

先ほど彫刻家にとってはこれは破格だと言いましたが、アートと比べた時にわかりやすいでしょう。
いろんなアートのありようはありますが、基本的に1人の作家による一点ものの作品は、小さい絵でも数万円するのが普通です。立体となれば余計に値段が張ります。360度作らなきゃいけないし、そもそも物質としてかかる材料費も高いわけです。立体を作る環境も整える必要があります。なんにせよ金のかかる作業なんです。

トイサピエンスの別のショーケースでは歴代スターウォーズの10万円を超えるようなフィギュアシリーズが特集されており、全てソールドアウトでした。それをみた時、一点ものだから、手仕事によるものだからと言ってアートの費用対価値は何で担保できるのか、、、?という、あまり普段考え直さない当たり前のことに気がつき、不思議な気分になりました。

欲しい人にとっては、フィギュアもアート作品も、いくら高くても安いのだと思いますが、そう言っては元も子もないですよね。

双方に共通すること、もっといえばブランドものの服の価値などもきっと同じなのだと思いますが、価値を担保するものとは、そのものの背景にある事柄なんだと思います。

結論から言えば、アートは作り手がただ好きに作ったところで価値の担保は生まれない。
トムホランドの実物大胸像に匹敵するためには、アートは2000年とは言わないまでも、少なくとも100年の美術史と幾らかの点で接続できる要素を忍ばせる必要があります。これが文脈ってやつだ、、、やっとわかった。


マンドーのフィギュアを例に、その商品の背景に文脈がどれくらいあるのか挙げてみましょう(トムホランドスパイダーマン全くみてなくて、書けないので)


・77年公開の伝説的なSF映画スターウォーズを背景に持ったドラマシリーズの主人公ディンジャリンをモデルにしたものである。

・ディンジャリンのつけている鎧はスターウォーズでとても人気のあったキャラクター、ボバフェットの鎧をオマージュしている。

・ドラマシリーズマンダロリアンは、スターウォーズを背景に、西部劇や子連れ狼といった過去の時代劇をコンセプトに取り入れた人気のあるシリーズである。

・キャラクターの造形立体物とは、映画における特撮の歴史を文字通り形作ってきたILMの歴史と直に直結した商品媒体と言える。

・フィギュアという商品価値すらも、スターウォーズのアクションフィギュアが革命的にその流れを作ってきたものであり、このフィギュアが一つのカルチャーの先端に位置したものと捉えることができる。


なんとなく書き出してみてもこれだけの背景、ざっと46年分のポップカルチャーの歴史が、フィギュア単体の表面的な質の向こう側に分厚く存在しています。
欲しいというのはものの質だけではなく、表面の奥に内在している文脈まで所有したいという欲求なのだと思います。

なので、彫刻は単に楽しく好きに作るだけでは、買ってもらえるわけがない。
うまくできていればいいわけでもない。
作品単体の質だけでなく、作家個々が見ている歴史、その厚みが遺伝情報のように組み込まれ価値にならなければならないんです。
物の価値とは、三次元ではない。四次元のものなんですね。

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