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俺今めっちゃダサいやん



東京から沖縄に移住して1年と8ヶ月
18年間続けたサッカーを辞めて2年
現在はサッカーの指導者になって2年目に突入した

今回はそんな私の「最近起きた自分を見つめ直す出来事」について記していく。

以前noteを更新していた時もあったが、見返したところ最後の投稿は約1年前だった(笑)
すっかり文章を書くことから離れていた私だが、思いの丈を愚直に綴りたいと思う。
「飽きたな」と感じるところまででいいので、どうか読み進めていただきたい


現在私はサッカーの指導者をしているのだが、上記の通り2年目に突入した。
しかし、1年目は学年を担当するメインコーチの補佐的役回りだったため、本格的にメインで担当するのは今年の4月から。
すなわち、まだわずか4ヶ月ほどしか経っていない超新米コーチであり、言わばコーチとしてはめちゃめちゃ初心者である。

しかしながら、自分にはどこか「根拠のない自信」があった。
それはおそらく現役(学生)時代にJリーグの下部組織に所属していたり、全国優勝を何度かしていたり、J3リーグに数試合出場したことがあったりと、サッカー経験者の全人口のおそらく50%の人は経験していないような日々を運良く過ごせてきたからである。
そんな私だが、最近ものすごく大きな壁にぶち当たっている。

「サッカー教えるのめっちゃむずいやん」

毎週末リーグ戦や練習試合をしていく中で、なかなか自分が思い描いていた結果が出ない。
今指導しているのは中学1年生のカテゴリーなので、結果よりも内容なのかもしれないし、選手としての成長過程をどれだけ実りあるものにするのかが大切であると思っているのだが、毎週末頭を抱えているのが現状である。
しかし、「頭を抱えている」というのは選手たちの上手さやプレーに対してではなく、

“自分の無力さ”

に対してである。

「サッカー指導者」という立場は一般的にサッカーを教えている人と思われがちだが、私の解釈は少し違う。
学校の先生は勉強を教えているので“教える”という言葉がしっくりくるが、サッカー指導者は教えるというより、気付きやきっかけを与える人。
問題の答えを教えるのではなく、問題のヒントを与える人という解釈がしっくりくる。

つまり、日々の練習でも「こうするべき」といった模範解答を教えるのではなく、「こういう考え方もあるよね」といった答えを導くヒントを与えることこそが本来の役割であり、答えを導き出すヒントや解き方をどれだけ多く提示できるかが大切であると思っている。

なぜなら、

サッカーに正解はないからだ

10人の選手がいたら10通りのプレーや戦術がある。

そんな自分自身のサッカー指導者の定義がある中で、最近試合映像を振り返る限り、まだまだ選手たちにヒントや問題の解き方を伝えられてないなと感じている。
これは日々の練習の中で、上手く伝えられていなかったり、身につけて欲しいスキルを獲得しやすいメニュー作りができていなかったり、理解しやすいコーチングができていなかったりと自分の力不足が原因である。

しかし、少し前までの自分は
「これくらいできるだろう」
「当たり前なことがどうしてできないんだよ」

などと、どこか上手くいかない原因を選手たちに押し付けていた時もあった。

指導者として“失格”だ

私は知らず知らずのうちに『驕って(おごって)』いたのだ

大した才能や実績があるわけでもないのに、自分の教え方は間違っていないし、言ってることも理解できるだろう、と自分を過大評価していた。


そう思い悩んでいた時に私はふと自分の人生を振り返ってみた。

4歳の頃から兄の影響でサッカーを始めたのだが、最初からなんでもできる“天才”とは程遠く、恵まれた才能なんてはなから持ち合わせていなかった。

サッカーの基礎技術で知られるリフティングでこんなエピソードがある

小学1年生の頃、たしかチームの中で1番最初に100回に到達した。しかし、次の日の放課後、友人たちと自宅で遊んでる時に遅れてきた1人の友人が自分の記録を超えたよと自慢げに言ってきた。
それを聞くや否や皆がゲームで遊んでる中、自宅を飛び出しその記録を超えるまで永遠リフティングをしていた記憶がある。

私はただの根っからの負けず嫌いで、何をするにも負けることが大嫌いな性格の持ち主だ

そう思い返した時に、なんだか自分が情けなくなり、無性に悔しくなり、ある決心をした。

指導者としての熱量を
誰にも負けないようにしよう。
どの指導者よりも選手が少しでも上手くなることに貪欲になろう。


おそらく自分よりも経験豊富な人、指導が上手い人、結果を残している人など指導者としてのスキルが秀でてる人は山ほどいる。
その人たちよりも、優れた指導をすることは今の自分にとっては正直難しい。

しかし、自分にも未来ある大切な選手たちを預かっている責任がある。

そう考えた時に1日約2時間の練習があり、その2時間の中だけで他の秀でた指導者よりも優れた指導をするのは難易度が高いと思われる。
ただ、その2時間に向けた準備を何十時間とかけた上での、2時間の指導ならもしかすると対抗できるかもしれないと考えた。

具体的に何をするかというと、

「とにかく試合映像を見返す」

止めて、巻き戻して、スローにして、また巻き戻して、拡大して、また巻き戻して…

気になったところを何回も見返す

そしてそれを、チームや個人別に解説をつけてまとめる

選手たちに本気を求めるのならば、まずは自分が練習や試合に対して本気になることを決めた。
正直にいうと、どえらい時間がかかる。
まともに夜も眠れない。
でも、これが私なりの“本気”であり、その先に選手たちの成長があれば嬉しいなと思う。

時に私はまだまだ未熟だなと思う瞬間がある

「こんなにも時間をかけて映像を編集し、選手たちに提示してるのに、選手のやる気が感じられない」

そう思ってしまう時があるのだ。

だが、これは大きな間違いであり、私自身の熱量不足が露呈しているだけである。

矢印は常に自分に向けて、歩みを止めることなく、これからも1歩ずつ選手たちの成長のために前に進んでいきたい。

最後にまだ打ち明けていない私の指導者としての目標をここに書き記したい。



私はこのチームで全国大会に出る
そして、全国の舞台でお世話になった青赤の愛が溢れるチームに勝つ


今回久々に文章を自分の感情を殴り書きするかのように記してみました。
特に誰かに見せるつもりはありませんでしたが、思いのほか長文になってしまったのでnoteに残させていただきました。
できれば今後も自分の感情を整理する意味でも定期的に文章を書いていければと思う。
その際は是非一度お読みしていただけると、嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました!


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