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道端で、ジイさまとケンカする


 いつも通りに家を出る。観光地を背に住宅街を抜けると、田畑の向こうに点々と鉄塔が立っている。土砂やら建材やらを積んだトラックが走るからだろうか、アスファルトで舗装された道路の上に、自転車で走るにはつらい大きさの砂利がまだらに散らばっている。砂利をパチパチはじきながらしばらく走ると、大きな河川に行きあたる。この規模の川を越える橋は当然ながら数が少ない。迂回、迂回。橋のゆったりとしたアーチの頂点まで登ると、平野の際で山々が連なっているのがよく見える。橋を下ると住宅地、そしていつもの商店街。数百メートルにわたって同じ高さ、同じ形の建物が真っ直ぐに並んでいる商店街の様子は、整然としていて美しいとも言えるし、変化がなく退屈とも言える。
 
 この通りの末端に、私の最近の拠点がある。とある目的のために元店舗を借りていて、目下改装準備中。現在は事務所として使っている。その旨を記した看板を建物の前に設置していたのだが、その日はなぜかド派手に倒れていた。横に置いていたベンチも、その上に置いていたものも、ドンガラガッシャン。倒れないようにとロープで結んで固定していたんですけど。そんなに強い風が吹いたっけ。まあいいや、と元に戻して作業にとりかかる。一日を終え、仕事だったのか趣味だったのかわからない作業を片付けて、帰り支度。今度こそ倒れないようにと看板を固定した。
 
 翌日、いつも通りに家を出る。事務所につくと、今日もまた、ドンガラガッシャン。また元通りに戻したものの、自然に倒れたわけではなさそうだ。誰かのイタズラか、それとも。
 
 商店街の歩道は幅が広く、屋根もついているから、お店はそれぞれ商品を出したり、植木鉢を並べたり、のぼりを置いたりしている。無論、現行法的にはNGなわけだが、個人の倫理的規範に基づいて商店街を演出していて、それで誰も文句は言わず、成立しているような雰囲気がある。なんといっても、椅子やベンチが点々と置かれているのが良い。この通りを歩く人が休憩したり、酒を飲んだり、くっちゃべったり、煙草を吸ったりしている。60年前に一斉開発された住宅団地の中心に位置しているだけあって、この商店街を通る人たちの歩くスピードは驚くほど遅い。杖、カート、犬に引っ張ってもらうなどなど、その歩行方法は様々である。買い物なのか、散歩なのか、徘徊しているのか、歩行の目的があるのか無いのかもわからず様々に見えるわけだが、いずれにしても彼らの休憩所として、椅子やベンチは機能している。私もそれに倣い、事務所にいる間はベンチを2つ、通りに沿って並べているが、いない時には座面を合せるように2つを重ねて片付けていた。
 
 この日はなぜだかベンチを重ねたまま事務所内で作業していたのだが、外からガタガタ音がする。目を向けるとジイさまがヨタつきながらベンチを動かしている。重ねていたベンチがぐらぐら落ちそうで、それに結び付けていた看板も倒れ掛かっている。危ない。というか、ドンガラガッシャンの原因はこれか。と直感的に思いながらあわてて声をかけた。

 ジイさまは「ベンチの上にモノを置かないでくれえ。」と一言。いや、そうなんだけどさ、そうなんだけど、それよりなにより、びっくりするような臭い。下水工事をしてるのかと思ったが、どうやらこのジイさまから発されているようだ。来ている服はボロボロだし、口のまわりのひげには食べかす?のようなものが引っ付きまくっている。まあまあ、しょうがないでしょう。俺もそのうちこうなるからね。と、気を取り直して、このベンチが私のものであること、ベンチを重ねている理由について説明したのだが、ジイさまの話すことは以下の3つ。
①    「これはみんなのベンチだよお。」
②    「座りたいからベンチを道路に置いといてくれよお。」
③    「ベンチの上にモノを置かないでくれよお。」
以上。例外なし。
ゆっくり耳元で話しても、説明の仕方を変えてみても、話はどこにも着地せず、繰り返し、繰り返し。私の説明にもめげず、いまだにベンチを道路に引き出そうとしている。「危ないからやめてくれ」とつい大きい声で言ったものだから、通行人も驚いてこっちを見ている。もういいや、めんどくさいし。とりあえず今はベンチに座ってもらって、後で事務所の中にしまっちゃおうと諦めた。
 
 事務所の中に戻って外を見返すと、ベンチに座ったジイさまの背中が見える。彼がどんな表情をしているのかはわからない。ガラス越しにみえる背中は、話していた時より小さく見える。やれやれ。なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだと思いながら、ふと、「排除アート」のことを思い出した。公園のベンチの真ん中に彫刻があったりして、路上生活者が横にならないようにしているアレ。それを知った時には、「こんなセコい方法で人の行動を制限するのはくだらない」と憤った。しかし、今、めんどくさいからベンチを店先に出すのをやめようとした自分はどうか。彼らと同じ理由でベンチを諦めようとしているのではないか?公園のルールがふえていくことや、公共施設でできることが少なくなっていくこと、それらがいま目の前で起きたこと、そして些細な諦めから生まれているのかもしれない。
 
 一方では、リスクを抱えない使用者として管理者を批判する自分。他方では、管理者として皆さんの安全のためですと使用者を説得する自分。

 やれやれ、厳しい矛盾を抱えることになったなあ。「諦めたら試合終了ですよ。もう二度と公園の禁止ルールを批判できません。」と安西先生が頭の中にあらわれたところで外を見やるとジイさまが立ち上がった。ヨレヨレとカートを押しながら去っていくジイさま。どうしたもんかと外に出てみると、ベンチが茶色く汚れている。そして臭い。もしやと、去っていくジイさまの後姿を見てみるとズボンのお尻から下のところが茶色くシミになっている。
 
 うんこ漏らしてんじゃん。
 
 その後はとりあえず、ベンチは外に出したり出さなかったりしている。が、試合を諦めたわけではない。


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