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人助けで金を稼ぐな、と言われる

 私が活動する地域には、自治会が運営する「お手伝いサービス」という有償ボランティアの組織がある。地域住民の困りごとを、地域住民が助ける仕組みである。立ち上げてから、もう10年。当初は60~70歳代だった彼/彼女たちは、その分、年を重ねた。

 「お手伝いサービス」は、1964年に造営された住宅団地を拠点としている。市内でも最も高齢化率が高く、現在では40%を優に超えるエリアである。彼らは住人としてこの先の地域課題に危機感を覚え、草の根的なつながりを活かし、地道に周知や勧誘活動行って立ち上げたようだ。当時の民主党政権が宣言した「新しい公共」の流れもあって、県からの補助も受け、立派な組織として今日まで運営を続けてきた。

 私がその活動に加わったのは、2~3年ほど前だっただろうか、もう記憶も怪しいが、いつの間にか参加していた気がする。彼らの活動が素晴らしいとか、これからの社会課題だから、という理由ではない。単純に、私が困っていた時に助けてくれたから、そのお返しのつもりで始めただけである。そして、その関りを今も大事にしているのは、彼/彼女たちの働く姿がなんだか美しくて、時折、とても感動するような場面に出くわすからである。

 庭の手入れのお手伝いをしていた時のことだが、松の木を切り落とすために背の高い梯子が必要になった。どうしようかと困っていたところ、どこから運んできたのか、道路の向こうから数人のジイさまたちが大きな梯子を運んできた。横並びでゆっくり、堂々と。単に早く歩けないだけかもしれないが、その様子はまるで、隕石の落下から地球を救った英雄たちが帰還したようだった。Don’t wanna close my eyes~♪ エアロ・スミスの歌が頭の中で流れていた。

 別の現場では、軒下にできた鳥の巣を動かすため、脚立に上ろうとしたジイさまに「危ないからダメ」と注意が飛んだ。できると思っていたことを「だめだ」と注意されたからか、ふてくされていた彼に、近くのジイさまが「これつけてからやろう」と言いながらと安全ベルト(落下防止のための)をつけてあげていた。少し離れてみると、ジイさま同士が抱き合い、お互いの身体のようすを確認しながらいたわっているように見える。「俺は○○さんのこと、心配してるの。」「いや、おれはまだまだ大丈夫だけどね。」「うん、わかってるよ。」そのやりとりに、なぜだかとてもグッときてしまった。

 もちろん、ジイさまたちだけではない。事務所であるコミュニティカフェ(今はもう無い)では、おねえさまたちが、その場を訪れるさまざまな人たちの話に耳を傾けているのだが、それだけではない。洗濯物や部屋の片づけ、買い物まで、家事のお手伝いもしている。「もっとちゃんとやんなきゃだめよ」と時に叱責することもあるのだが、その言葉をむけられたジイさまは「だってよおー」と言い訳しながらも、なんだかうれしそうな顔をしているように見えた。彼女たちの存在が、人を引き寄せ、安心できる場所を維持し、様々なコミュニケーションをつくり出している。彼女たちがこのサービスの土台である。

 変わった依頼がお手伝いサービスから私に来たこともある。「ねずみの匂いがするから助けて」とのことで行ってみると、あきらかな腐敗臭。臭いをたどって箪笥を動かしてみたら、やっぱり。酷い状態でねずみがお亡くなりになっていた。あまりの臭いと酷い見た目にたじろぎ、涙目になっていたら、「男なんだから泣かない!」となぜか檄を飛ばされた。いやいや、あなたが出来ないから俺を呼んだんでしょ!
という当然の疑問は封印した。なんとか片付けた後に出してくれた昆布茶、美味しかったな。あれは感動して出た涙じゃなかったけど、いい思い出である。

 なんにしても、彼/彼女たちは、本当になんでもやってしまう。難しそうなことでも、やったことがないことでも、ひとまずチャレンジしてみる。それが根本的な姿勢である。(ねずみの片付け以外は)
 本当なら、自治会が運営している組織だからと、様々な理由によって、「できない」と責任を回避することもできるだろうし、するべきこともあるのかもしれない。
 しかし、「お手伝いサービス」はそれをしない。地域住民だろうが、非自治会員であろうが、「困っている人」は「困っている人」なのである。

 それゆえ、10年の間に様々なトラブルもあったようだが、その度に集まり、議論し、修正しながらここまでやってきた。意見もぶつかるし、できることも、価値観も違う。ケンカもする。それでもとにかく、微調整をしながら続けてきた。私は、この活動がこれからも続いていってほしいと思う。

 が、その「お手伝いサービス」がいま、存続の危機を迎えている。

 詳しいいきさつについては書かないが、自治会のとある会合で、私が呼び出されてお手伝いサービスについて聞かれたことがあった。「人助けで金を稼ぐな」と袋叩きにされ、お手伝いサービスの在り方について、様々な批判が出た。その言葉をくらったときには、ふつふつと怒りが湧いてきてどうしようもなかった。
 「では、あなたはどうやって飯を食ってきたのか?」とか、「人を助けてお金をもらえるなら最高に素晴らしいじゃないか!」とか、言いたいことは山ほどあったが、飲み込んだ。

 なんとか冷静を保って相手の立場で考えてみれば、「自治会」という枠組みや規範、民主的な決定プロセスを重んじる地域組織の中で、独自に対応・判断する即応部隊(お手伝いサービス)について、責任が取れなかったり、説明できないと感じることもあるだろう。
 また、縮小していく自治会の規模や予算の中で、お手伝いサービスが事務所として借り上げていた店舗の家賃を払い続けることが難しいと判断されたのかもしれない。
 さらにいえば、得体のしれない若者(私。彼らから見れば、一応若者?)が参加してきてああだ、こうだと言っていることが不審がられるのも、まあ、わかるっちゃあ、わかる。

 他方で、自治会組織としての難しさだけではなく、お手伝いサービス自体としても様々な課題を抱えている。
① スタッフの高齢化
② スタッフの減少
③ 長年作業を続けてきたことによる作業の専門化・高度化
④ 人間関係の固定化による作業配分の不平等性
などなど。
 これらはひとつひとつみれば小さな問題のように思えるが、それぞれがそれぞれを呼び込むような悪い循環として機能してしまっている。大鉈ふるって改革を進める手もあるが、それを私の立場で行うことには躊躇してしまう。

 なぜなら、彼らが「現状が良い」と思い、「変わることを恐れている」からである。
 もちろん、批判はできない。自分が彼らの立場で、彼らの年齢で、彼らのような自尊心を持っていたとすれば、働けて、感謝されて、協働できる仲間がいる現状が続けばよいと考えるのが自然である。

 ここに無理やり私が踏み込んで、次の世代のために、変わってくれと言えるだろうか。そしてそれを実行する必要があるのだろうか。彼らが作ってきた時間や居場所を奪い、人間関係を破壊してまで、残すべきものなのだろうか。

 さあ、では、どうすればよいのか。自治会としても個別の組織としても様々な課題があるこの活動について、どのように考えればよいのか、いまだにわからない。

 自治会という組織の限界を認めてそこから離れ、お手伝いのスタッフたちに変化を迫り、新たな道を進んで次世代に残すのか。

 あるいは、自治会だからこそ可能なことを突き詰め、彼ら自身の判断を優先して、緩やかな退却を目指すのか。

 いずれにしても、私は彼/彼女らの走る姿を近くで見届けたいと思っている。伴走をしながら。ちょっと後ろで背中を押したり、前に出てペースをつくってみたり、いろんな仕方で。
 兎にも角にも、今後もお手伝いサービスをお手伝いする覚悟です。

 どうぞ、よろしくお願いします。

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