時間どろぼうの正体~「モモ」×「共感資本社会を生きる」
皆さんは「時間どろぼう」って知ってますか?
ミヒャエル・エンデが書いた児童文学「モモ」という本に出てくるキャラクターです。
時間どろぼうは、巧みな話術によって人々に自分が時間を浪費していると感じさせ、時間を倹約するように仕向ける存在です。「倹約した時間は貯めておきますよ」というのですが、実際にはその時間は時間どろぼうたちのエネルギーになっています。人々は時間を倹約するために自分の趣味などの様々な時間を削り、いつも「忙しい」と口にし、余裕や生気が無くなっていきます。
この本を読んだのは2年前で、児童文学というわりには随分示唆に富んだ内容だなぁと思いました。
当時は、現実にも時間どろぼうのような存在がいることは分かっていましたが、それが一体何なのかについてはぼんやりとしていました。
それが最近読んだ本によって、彼らの正体というものがつかめた気がします。
その本というのが「共感資本社会を生きる 共感が『お金』になる時代の新しい生き方」です。
この本は、「お金」で社会を変えようとしている新井和宏さんと、「食」で社会を変えていこうとしている高橋博之さんの対談をまとめた一冊です。「共感」をキーワードにお二人が語る社会像は、とても魅力的で読んでいてワクワクするものでした。
その対談の中で、「ああ、時間どろぼうってこれのことだったのか」と腑に落ちる気づきがありました。
時間どろぼうの正体
それは「Part1 新しい「お金」と、新しい生き方」での高橋さんの会話の中にありました。
かつての日本は、がむしゃらに働いていれば給料も上がっていったし、階級も上がっていきました。自分の時間を犠牲にすれば、どんどん豊かになるイメージがありました。
それは仕事だけではなく、学業に関してもそうで、一生懸命勉強して良い大学に行けば、就職で有利になり、大企業に入って将来は安泰というイメージがありました。
どちらもより多くの給料(お金)を得るためという考えのもと、生まれた社会の思想だったんでしょう。
当時の人間の耳元で「お金」がささやいていたのです。
「私を手に入れたかったら、「時間」を節約しなければならない。役にも立たない寝る時間や遊ぶ時間を節約すれば、もっと私が手に入る。」
その未来は今を賭ける価値があるか
どちらも「今」という時間を未来に向けて投資していました。それはその未来が投資する価値があったからです。
周りの大人たちが、がむしゃらに働く姿を見て、出世し多額の給料をもらっていく。そういう未来が自分の目の前に確かにあったんです。
ですが、現代ではその未来の姿に翳りがさしています。
自分の時間を犠牲にして一生懸命働いても、給料も上がらないし、首をきられることさえある。
一生懸命勉強しても、希望の企業に入るどころか、どの企業にも就職できないかもしれない。
かつてみんなが目指していた未来の輝きは薄れ、その未来に疑問を持つ人も増えてきています。
一方、「今」という時間や余暇や趣味の時間を大事にするという人が増えてきているように感じます。
でも、時間どろぼうは諦めていません。気をつけないと彼らがあなたの耳元にやってきてささやきます。
「今そんなことをしていていいんですか?将来私を手に入れられなくなってしまうかもしれませんよ。」
彼らの呪縛から解き放たれるためには、自分にとっての「お金」とか、「お金」自体の仕組みやあり方を考え直す必要があるのかもしれません。
今回紹介した「共感資本社会を生きる」は、それにピッタリの本だと思いますので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
【今回紹介した本】