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民度を上げるのは「教育」か「評価」か

IT技術の進歩により、オフラインというものが無くなっていく、というかすでにそういう世界になりつつあることを書いた『アフターデジタル』を読んで、その中で紹介されていたジーマ・クレジット(中国)の「信用スコア」についていろいろと思うことがあったので、まとめてみます。

1.ジーマ・クレジットの「信用スコア」とは

ジーマ・クレジットとは、スマホ決済アプリ「アリペイ」を提供している金融会社「アント・ファイナンシャル」(EC大手のアリババ傘下)が2015年に始めたもので、アリペイの機能の一つです。アリペイは中国内の多くの店舗で利用されており、日本国内の店舗でもアリペイが使用できる旨の表示を見たことがある人は多いと思います。アリペイでは、通常の買い物以外にも公共料金や税金もアプリから支払うことができます。
そうした支払いデータを中心に、提携サービスの利用状況、アリペイ上の友人も含めた膨大なデータを集め、それらをAIで分析して出されるのがユーザーの「信用スコア」です。このスコアは基本的に「支払い能力」を可視化したもので、評価軸は「個人特性」「支払い能力」「返済履歴」「人脈」「素行」で、点数は350点~950点です。他にも、出身大学や職業を入力すると点数が上がったりするようです。このスコア精度が高く、ユーザーから信頼を集め、社会的信用度にもつながっています。ユーザーにとってのメリットとして、社会的信用度に加え、点数に応じてアリババ・グループやその提携企業を利用する際の特典を受けられます。
この結果、SNSに自分の点数を掲載して自分の信用度をアピールする人とか「700点以上の人じゃないと信用できない」という発言とかが日本では報道され、「管理社会だ!」みたいなイメージがついてしまいました。

2.「信用上げるゲーム」でもたらされたもの

マイナス面ばかりが日本では報道されましたが、そのプラス面はなんだったのかというと、「与信管理の新たな基盤ができた」ということです。中国にはこれまでまともな与信管理が無く、都市部と農村部の生まれた場所による格差があったのですが、この信用スコアによって高い点数があれば農村部の人でもスコアを担保に信用がつくようになりました。つまり、良いことをすれば(マジメに生きてれば)、いい待遇が受けられるようになったと言えます。
さらに筆者曰く、この信用スコアが浸透されてから中国人のマナーが格段に上がったとのことです。以下、一部抜粋します。

以前は、電車から人が降りる前に乗り込んだり、順番を守らなかったりするのが常態化していました。中国は基本的に性悪説で、他人を信用せず、損したら負けという価値観があります。(中略)
中国では文化大革命の後、そうした儒教的な文化や考え方が一度リセットされたのです。そうした状況で信用スコアという評価体系が登場したことで、「善行を積むと評価してもらえる」と考えるようになりました。文化や習慣ではできなかったことが、データやIT技術によって成し遂げられようとしているのです。

このような評価システムは、ジーマ・クレジットのみならず、タクシー配車アプリのディディやフードデリバリーサービスにも導入され、中国の民度を上げるという現象を起こしています。

3.学問のすすめ

ここで、我が国日本が誇る名著「学問のすすめ」の中では、民度に関してこんな記述があります。

国民の徳の水準が落ちて、より無学になることがあったら、政府の法律もいっそう厳重になるだろう。もし反対に、国民がみな学問を志して物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律もまた寛容になっていくだろう。法律が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって変わってくるものなのである。

西洋のことわざにも似たようなものがあるので日本固有の考え方ではないかもしれませんが、法律やルールが厳しいのは国民が無学だからであり、政府がきちんと管理しないと国が崩壊してしまうということ、そして、ルールが寛容な国にしたいならば、国民一人一人がちゃんと勉強して物事の道理を知って自分で考えられるようになりなさいということを伝えています。つまり、学問や教育によって民度を上げることができ、その程度によって法律やルールは厳しさが変わってくるということです。

4.民度を上げるのは「教育」か「評価」か

果たして民度を上げるのに有効なのは、「教育」なのか「評価」なのか。仕組み的には「評価」の方がうまくいっているように思うのですが、感情的には「教育」であってほしいとも思います。それは国民性や文化の違いというものなのか、それこそ教育の結果なのかもしれません。今は答えが出なさそうなので、考えるうえでの視点をここにメモしておくことにします。

・アプローチの方法(教育は個→全体、評価は全体→個)の違い
・民度の段階によって有効な手法が違う
・教育、評価とは違う視点がある、または高次の概念では両方同じ

こういうことを考えさる(北海道弁です)本が個人的には良書だと思います。