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#今週の週報(24.7月3週)

急にランニング始めたので両ひざが悲鳴を上げています。

今週の週報です。


1.音楽の力

僕の楽しみの一つに「音楽番組を観ながらお酒を飲む」というのがあります。別に本人が歌っていなくてもよくて、自分の知っている歌、好きな歌を、歌が上手い人が歌ってくれていたらいいんです。なのでカラオケでもいい。
夏になると、各局がいろんな歌番組を放送してくれるのでとても喜んでいます。

先日も録画していた歌番組を観ながら一人でお酒を飲んでいたんですが、まあ沁みますよね、歌が。
普通に人から発された言葉だったら「青くさい」と「きれいごと」と切り捨てられるようなメッセージも、歌だとすんなり心に入ってくる。
それが音楽の力なんでしょうか。

皆さんもつらくて誰からの励ましの言葉も受け入れられないとき、ぜひ歌を聴いてほしいと思いました。

2.まだ感情があることにほっとする

皆さんは、本を読んで泣いたことがあるでしょうか?
僕はけっこうあります。しかも所かまわず泣けます。
過去には飛行機内や電車内でも泣いたことがあります。(特に飛行機では号泣してしまいました。隣の席の方すみませんでした。)

こういう泣ける作品を読んだとき、素晴らしい物語を読めたことに感謝すると同時に、まだ自分は物語を読んで泣けるだけの感性があるのだと安心します。

つらいことが続くと「感情が死んでしまう」と表現されることがあります。
僕はそうなることが怖くて、感動する本を読んで感情が動いたことを確認するたびに、「良かった…まだ自分には泣けるだけの感情が残っているんだ」と喜んでいます。

「感情がある」というのが個人的な精神のバロメーターとなっています。
感情が死にそうになるたびに、「今日、何かで笑ったかな」というのを真っ先に考えます。もし笑えてたなら、「まだ大丈夫」とほっとします。

つらくて感情が死にそうになっているとき、自分の感情がきちんと動いているかを確認する方法を知っておくといいかと思います。

3.パソコン障害で思うこと

先日、Windowsのパソコンで障害が発生しました。(急にブルースクリーンになるやつ)
僕の会社でもブルースクリーン祭りになりまして、一時てんやわんやしてました。最近では、紙の資料で仕事をすることがほとんど無くなってしまったのでパソコンが使えないとなるとほぼアウトです。

この時に思い出したのが、「環境としての母」という言葉です。
東畑開人さんの「聞く技術 聞いてもらう技術」では、このように説明されています。

一人のひととして母親を思い出すとき、あなたは「対象としての母親」を意識しています。
これに対して、「環境としての母親」は、あなたに気づかれず、意識されない母親のことです。
(中略)
たとえば、子どもの頃、タンスを開けたら、綺麗にたたまれたTシャツがしまってありました。本当は母親が洗濯をし、干して、そしてたたんでくれたからそこにあるのだけど、あなたはいちいちそんなことまで考えなかったはずです。何も考えずに、Tシャツを取り出し、着て、学校に行く。

「聞く技術 聞いてもらう技術」P.60

母親個人ではなく、母親があなたの目にみえないところでやってくれていた行為が「環境としての母親」というわけです。
ただ、「環境としての母親」が目に見える瞬間があります。

「環境としての母親」は普段は気づかれない。失敗したときにだけ、気づかれる。そういうときに、「環境としての母親」は「対象としての母親」として姿を現します。
タンスにTシャツがなかったときに、「あれ、お母さんどうがしたのかな」と思い出すし、停電になったときに「発電所で何かあったのかな」と私たちはネットを検索します。
うまくいっているときには存在を忘れられ、うまくいかなかったときだけ存在を思い出される。

「聞く技術 聞いてもらう技術」P.61

例として母親、発電所が出ていますが、システムも同じですよね。
普段、僕たちはいろんなシステムやサービスの恩恵にあずかっています。それを意識しないのは、障害が起きずにうまくいっているから、これが自然のことのように感じているからです。そしてうまくいくように、多くの人たちがそれらを支えてくれているからです。
障害が起きると大変なんですが、日常を支えてくれているアンサング・ヒーローたちの存在を思い出させてくれる機会でもあるのだよなと感じました。


ダイエットのために昼食はコンビニでサラダを買って食べているんですが、けっこう値段しますよね。あれはサラダが高いのか、お弁当が安いのか、、、サラダばかりだと飽きるのでちょこちょこ違うのも食べながら継続していきたいと思います。

ということで、皆さんの一週間はどうだったでしょうか?
今週の週報でした。

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