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いつのまにか忘れてしまっているもの

人は生活しているなかで、いろいろな顔を使い分けて生きています。

サラリーマンとしての顔、夫としての顔、誰かの友人としての顔、親にとっての子どもとしての顔。

その中には、立場が全く逆の顔(店員とお客、上司と部下、親と子など)を使い分けていることも多々あります。ですが、自分がその立場にいる時のことをすっかり忘れてしまっていることが現実ではたくさん起きています。

接客について

ここ数年、高校生の食育教育の一貫で小売の店頭で接客体験をするお手伝いをさせてもらっています。この接客体験では、店員側とお客さん側に分かれてロールプレイしてもらいます。

そのときに店員役からよく質問されるのが、「どうやって商品をオススメすればいいか分かりません」というものです。こういう時は、お客さん役に「どうしてその商品を買ったの?」と聞くとそれは解決します。

「安かったから」
「量がちょうど良かったから」
「珍しいものだから試しに」

それをお客さんに伝えればいいんです。普段、自分が買い物をしている時やサービスを使っている時に選んでいる基準というものを接客するときにも使えばいい。なぜか店員側にまわると、自分がお客だったときのことを忘れてしまうんですよね。

逆もまたしかりで、自分がお客になった時に店員さんに横柄な態度で接してしまう方もいらっしゃいます。「自分もこういう目に会っているんだから、別にいいだろう」とか思っているんですかね?

むしろ、自分が嫌いなお客さん・面倒くさいお客さんにはならないようにしよう、良いお客さんでいようと心がける方が世界はステキになっていくと思うのですが、、、ちなみに、私は飲食店では笑顔と優しい口調で注文するようにしています。忙しい中たくさんの注文を受けて、クレーム対応もしているホールの方々に少しでも和んでほしいなぁという気持ちゆえです。

仕事上の立場について

自分が下の役職の時、現場にいる時に、「自分が上にいったら、これを変えてやるぞ」「こんな対応を部下にはしないぞ」って心に決めることがあります。

でも、実際その役職になってみるとこれまでと変わらない対応をしてしまっています。あの時の志はどこへやら、、、という感じですが、その役職になってみて分かることがあります。

「あの対応をしていたのはこんな背景があったのか」とか「さらに上の役職からの指示だったのか」とか「業務上仕方がないことだったのか」とか

最初の志を忘れたわけではないのですが、それ以上の力とか立場上の問題で板挟みになっている方も多いのではないでしょうか。「それならいっそ、このままで、、、」と表面上は志を忘れてしまったふりをしているのかもしれません。

上司・部下の関係に限らず、取引先とのやりとりでも「なんでそんな冷たい対応なんだ」「もう少し融通はきかないのか」という場面があります。

これも、向こうの立場からしたらしょうがないことだったり、その人の意思を超えたところで力が働いているのかもしれません。以前、私も秘書を通してアポをとろうとした時にドライな対応をとられました。けど、向こうからしたら上役のスケジュール管理が仕事なんですから、無理なものは無理って言いますよね。同僚に言われて気づきました、、、

親子のコミュニケーションについて

前段の話とすこしかぶりますが、自分が子どものころの親からの仕打ちで「自分の子どもには絶対こんなことしないぞ」「自分は理解のある親になるぞ」といったことを考える人も多いでしょう。

ですが、現実には子どもに対して、怒鳴るし手をあげるし話を聞いてあげられないし、でちっとも理想としていた親に近づけないということに悩みます。またメディアや世間の風潮が、「理想の親」みたいなものを担ぎ上げてきて、それとのギャップにも苦しまされます。

最終的には、「自分の親ってけっこう良い親だったんだなぁ」くらいまで思います。

あの頃の気持ちを忘れたわけじゃないんです。ただ、思ってたのと違ったというだけで。子どものころは、もっと簡単にできると思ってたんですよね。だけど、親は大変だった。「親の心、子知らず」とは本当によくいったものです。自分が親になって、しみじみと感じます。

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向こうの立場の人間に苛立ったり、不満を持ったりすることもあるかと思います。イライラをそのままぶつけるのではなく、少し相手の立場のことを考えてあげると、その気持ちが少し落ち着くのではないでしょうか。

今自分がいる立場で物事を考えがちですが、相手にも相手の立場があって、自分でもそうしたかもしれないと考えると、見え方も変わってきます。そうやって、お互いを思いやって接していけば、世界は少し優しくなるのかなと思います。