萌えは愛の上位概念(©︎東浩紀)とはなにか-あるいは確定記述と固有名と愛の関係③

推しとは何か、萌えとはどう違うか?

前回は、東浩紀の萌えと愛について、批評界のイフリートこと宇野常寛(このフレーズが気に入っている)の力を借りて整理してみた。

改めて記載しておこう。

  • 萌え=複数的=確定記述

  • 愛=単数的=固有名

ここから、①で私が語った萌えは愛に先立つものであるという解釈にはまだ隔たりがある。

そこで、この③では少し回り道をして、萌えの近似概念である「推し」について考えてみることで、さらに萌えとは何かを深く考えてみることにしよう。

では、ここで新たな召喚獣を呼び出すことにする。批評界のメーガス三姉妹こと濱野智史である。(誰にもよくわかって貰えないとヒヤヒヤしていたが、一応、斎藤大地は分かってくれたので、とりあえずよかった。)

濱野智史は、『アーキテクチャの生態系』で、アメリカのGoogleなどとは違い、2ちゃんねるやニコニコ動画などの日本におけるWEBサービスが独自の進化を遂げた理由として、アーキテクチャと呼ばれる情報環境の違いを挙げる。このアーキテクチャ、今で言えばプラットフォームと呼ばれるような環境こそが、WEBサービスを生み出す土壌になっていることを指摘した点で、隆盛の早いIT関係の中でも今でも全く古びない名著である。

若干横道に逸れるが、これは、前述した宇野常寛がコンテンツを主に扱う批評家だったことに対して、濱野智史はアーキテクチャ(情報環境)へのアプローチを取っているということで、真逆の思想を持っている。

これは、私が受講していた早稲田大学の「WEB文学論」の中で東浩紀の講義内容の書き写しであるが、そこではこの二人に加えて、福嶋亮大の三人をこのように解説していた。

  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』=コンテンツ(主題論)=コミュニタリアリズム

  • 濱野智史『アーキテクチャの生態系』=アーキテクチャ(環境論)=リバタリアニズム

  • 福嶋亮大『神話が考える』=中間=リベラリズム

実はあまり指摘されないが、東浩紀は、このように大きく二項対立とその間という三つに分けて物事を考えることが多い。それは恐らく思考の癖とも言えるものだが、これは後に述べる予定である東浩紀の内なるカントに繋がってくる。

この図式化する能力は、非常に分かりやすい反面、実は落とし穴があるというのが、私の見解である。実は東浩紀は、図式化を好む思想家でもあるのだが、東浩紀の考えるこのような二つの焦点を持つ楕円的な思想は、実は静的なものではなく、常に往復運動をしているような動的なものであると考える方がより好ましいからである。だから、人は東浩紀の図式化の魔力によって、その動的な部分を誤解してしまうのである。だから、東浩紀の図式はその動きに注目してる読まなければならない。

だからこそ、私たちは先ほど図式化した萌えと愛についてもそのような理解において考える必要があるということは、強調しておく。

話を戻すが、濱野智史は、このように情報環境、アーキテクチャを論じることで華々しくデビューしたのちに、AKB48に関する書籍『前田敦子はキリストを超えた』という本を書いている。これは、AKBというシステムが、握手会などを通じていかにしてファンによる創発的なコミュニケーションによって生成されているかということを論じていたり、実は『アーキテクチャの生態系』と非常に多くの部分でその議論を引き継いでいるわけだが、いかんせんそのタイトルのインパクトから、一般的にはゲテモノだと誤解されがちな残念な本であるが、私は非常に刺激を受けた作品だった。

AKB48においては、萌えではなく、推すということが重要な概念として語られる。それは、今までアニメファンの中でなになにのキャラが好きというレベルではなく、CDの購入によってアイドルの認知度を上げていくといういわば育成ゲームをそれぞれのファンが行うことによって、さらに大きなゲーム(システム)であるAKB48が、強化され、大きくなり、さらにそれが個々のアイドルへと循環していくという仕組みである。

今ではもはや、『推し、燃ゆ』のように表題作が芥川賞を取るまでに、一般化した推しについてだが、近似概念と思われる萌えとはどうちがうのだろうか?

端的に言って、私は全く別の概念であると考えている。

そもそも、推しは、言葉からもわかるように、自発的で能動的な用語である。

対して、萌えは受動的あるいは國分功一郎の提唱する中動態的なものであるとも言えるようなものである。

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの(by Mr.Children 『名もなき詩』)は、私から言わせれば、愛ではなく萌えの方がより正確な表現であると思う。

さらにより分かりやすく言えば、萌えは、好きの前にあり、推しは好きの後にある。萌えは、好き以前の説明のしがたい好意、感情で、推しは好きになったことで、他の誰かに広めたいという感情である。

だから、時々語られるような「推しは萌えの発展系」だというのは、あながち間違いでないのだが、それでは萌えという概念の本質を誤って理解してしまう恐れがある。

だから、より正確に萌えという概念を分析するためには、現象としての萌えとモエ自体というふたつを分けてこれからは論じていくことにする。モエ自体とは、萌えが現象として解釈される前の何かである。これは、カントのモノ自体から由来する。

ここでようやく、モエ自体、萌え、愛という要素が出揃ったことになる。だが、それらの関係について考えるためには、歴史上最強の召喚獣の1人でもあるカントを呼び出さなければいけない。

果たして私のMPは足りるのだろうか。

とゆわけで続く。

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