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ステレオタイプなんて誰もいない

ステレオタイプの人間なんていない、あくまで創作物のみで該当するものだ、というのが私の考えである。

いじめや差別は恐らく無くならない

そういったものがあって人類が発展してきた歴史があるからだ。
差別は自分の中で対象について抱いているステレオタイプのイメージから来るのではないかと思う、そしていじめはそれとのギャップからくるのではないかと。
人間が感情の動物と自称している以上
偏見や先入観はかならず持ち合わせている。そして全ての言動には“主観”が含まれる。
だからといって自分が抱いているイメージを正しいものと思い込み、その人もそれに該当するだろうと勝手に決めつけ行動に移すのは愚かだ。

無知は罪か?  
これは難しい問題だ。
ある子供の言動に対して大人が「それは差別だからやめた方がいい」と注意する。
大人は人類の歴史や社会の風潮を加味してそう伝えているのだが、その子供は人類の歴史や背景など知らない。あくまで生のコミュニケーションが言動となっただけで悪意はない。ただ良くないとされている言動であることは確かであり、差別の起源もそうであったに違いない。
この大人はどう接するべきなのか?
これは人類が繁栄を続ける限り問われ続ける答えの無い問題だ。


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