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インクルーシブ哲学へ⑩:山の無限のインクルージョン

▲前回


2024年3月30日

■イベント:FOXLab構想・発表(藤原さとさんのご厚意で参加させていただく)
■場所:檜原村
■主催:こたえのない学校
■Feel度Walkのファシリテーター:渡部由佳さん(ちきゅうのがっこう)

檜原村の山をひたすら上がってタクシーを降りると、十月に辻堂海岸に来ていた人たちが集まっていた。

山にも春が来ていた。
晴れやかな気持ちで、みんなの中に混ざった。

まずはFeel度Walkをした。
「なんとなく」
「とりあえず」
「ひたすら」
という最初の説明。
ああしてください、こうしてください、ということがない。
対話もそういうふうにしてできないものだろうか。

二月に歩いたときと違って、山は芽吹いていた。
緑の蔓が枝に巻きついていた。
川の水も巻きながら流れていた。
大きな木も、よく見ると、まっすぐではなく、ごくゆるやかに巻きながら伸びていた。

なぜ自然は巻くのだろうか。
巻くということは、巻くところで、何かに行きあたるということ。
何かに行きあたると、向きを変えて、巻く。
自然のものたちは、お互いに行きあたりあいながら、巻いているのだろうか。

人間どうしも、お互いに近づいて、お互いに行きあたると、お互いを巻くように動く。
それでもなおお互いに近づこうとすると、お互いを巻くように動きづつけて、回転する。

会いたかった男の子も来ていた。
高校を卒業して、もう青年に見えた。
古民家に戻ってから、青年は黄色い絵を描いていた。
みんなで集まって絵を発表するとき、これは屋根ですと発表をしていた。
素晴らしい絵だと思った。

青年のお母様が、僕の新しい本に興味をもってくださった。
もってきた本をゆかさんに渡したあとだったので、「もっともってこればよかった」とつぶやいた。
それを聞いていた青年が、「もってこればよかったな!」と僕に言った。

街も、自然も、それから人間も、無限だ。
自然の無限のほうが、街の無限よりも、密度が高いと感じた。
たとえば、整数は無限にあるし、偶数も無限にあるけれども、整数の無限のほうが密度が高い。そんな感じだろうか。

海の無限と、山の無限は、どこかが違う。
密度の違いではなさそうだ。
どこが違うのだろうか。

人間の無限はどうだろうか。
人間の無限は、果てしない。
人間の無限は、向かっても向かっても及びようのないところがある。
そこが果てしない。

山の無限は、見えないところも含め、全体というものがある。
閉じた円という全体の内側に、点が無限にあるようなイメージだろうか。
それに対して、人間の無限は、全体がない。
閉じた形がない。
僕は、閉じていない人間の無限をそのままに、閉じていない対話をしたいのだ。


▼次回


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