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ビジネスを哲学する|11. モチベーションを失うって何だろう?

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モチベーションはなくなりやすい。モチベーションは、突然消えてなくなったりするものだ。

おしゃべりする楽しさをモチベーションにして、人と会う約束をくり返していても、そのモチベーションはずっと続くわけではない。いつ消えてなくなってしまってもおかしくない。

実際、同じ人に会っておしゃべりをするということをくり返すと、どうしても次第に飽きてくる。飽きてきて、楽しさが薄れてしまう。すると、ふたたび会う約束をするモチベーションがなくなってくる。

それでも、相手のモチベーションは維持されているということは見込みがちだ。相手はまた同じことをしたがっていると見込みがちだ。

ここで、興味深いことが起こりうる。

2人の人がどちらも、ふたたび会う約束をするモチベーションをなくしてしまっているとする。それなのに、相手にはモチベーションがあると見込んでいる。すると、自分にはモチベーションがないにもかかわらず、相手のモチベーションにあわせようとして、いやいやながらふたたび会う約束をするということがありうる。つまり、2人ともモチベーションがないのに、同じ約束をくり返すということが起こりうる。

このとき、約束に生じる〈慣性〉は、「惰性」と呼ばれるものになっている。

人間は、モチベーションをなくしているのは自分だけだと思いがちだ。同じ約束をくり返すのが苦になるのは自分だけで、ほかの人はそうでもないと思いがちなのだ。

それはなぜだろう?

考えてみると、自然は苦もなく同じことをくり返す。太陽は東から昇り、桜は春に咲き、水は100℃で蒸発する。これらは自然の約束だ。

自分以外の人間が苦もなく同じ約束をくり返すと思いがちなとき、人は人間を自然の一部として見ているのかもしれない。自然が苦もなく同じ約束をくり返すものだから、きっと人間だってそうだろうというふうに見てしまう。

だから、同じ約束をくり返すモチベーションをなくしてしまったとき、人は自分を責める。なぜ自分だけモチベーションが維持できないのだろうと悲しくなる。

その悲しみは、自分が自然の一部になれていないという悲しみなのかもしれない。

でもモチベーションって、太陽や桜や水とはちがうものだよね。

 つづく

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