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ペーターとイチョウの木

これはもともと一枚の葉が二つに分かれたのでしょう?
それとも二枚の葉が互いに相手を見つけて
ひとつになったのでしょうか?

 ゲーテ「銀杏の葉」より、井上正蔵訳


ペーターは、鞄の傷を気にしていました。

パパとママに買ってもらった、お気に入りの黒い鞄。
このあいだ転んだときに、傷がついてしまったのでした。

「もういいのよ。いつまでも気にしてもしかたないわ。」
ママはそう言います。

ペーターの家は、公園の向かいにあります。
あまり人の来ない、少しさみしい公園です。

公園の真ん中には、イチョウの木がありました。
夏が終わり、イチョウの木は、黄色い綿菓子のように輝いていました。

「ぺーター、このごろ鞄の傷ばかり見て、元気がないな。」
学校の帰りに、そうヨーゼフは言いました。
ヨーゼフとは、いつも学校から一緒に歩くのです。

ヨーゼフと別れると、ペーターは、公園の中を歩きました。
公園の向こうが、ペーターの家です。

イチョウの木の近くまで来ると、黄色い葉っぱが一枚落ちていました。
ペーターは葉っぱを拾って、その美しい色と形に見とれていました。
「このイチョウは、ペーターと同じ男の子なんだよ。」
パパがそんな不思議なことを言っていたのを、ペーターはふと思い出しました。
ペーターは葉っぱを黒い鞄に入れると、家に向かって歩きました。

あくる日、学校帰りにヨーゼフと別れて、公園を横切っていると、イチョウの木の下に、今度は五枚の黄色い葉っぱが落ちていました。
ペーターは五枚の葉っぱを拾い、黒い鞄の中に入れました。

その次の日には、もっとたくさんの黄色い葉っぱが落ちていました。
「一、二、三……」
ペーターは十六枚の葉っぱを拾い、黒い鞄の中に入れました。

やがて、イチョウの木は、葉っぱをすっかり落とし、幹と枝だけになっていました。
イチョウの木の下は、ふかふかのまぶしい絨毯になっていました。
その上を歩いていると、ペーターはとてもよい気分。
そのときだけは、鞄の傷のことを忘れていました。

ある日、イチョウの絨毯の上があまりに心地よかったので、ペーターは木にもたれかかって腰を下ろしました。
葉っぱのにおいに包まれて、ペーターは眠りこんでしましました。

「ねえねえ、ペーター。」
その声に目をさますと、東洋人の男の子が立っていました。
「鞄の傷、僕が何とかしてあげるよ。」
男の子がそう言うと、葉っぱたちが宙に浮いて、ダンスをはじめました。

くるくるまわる葉っぱたちと一緒に、男の子は、見たことのないようなダンスを踊りました。

ダンスが終わると、
「ほら、もう大丈夫」
と男の子は言いました。
ペーターが鞄を見ると、傷はきれいに消えていました。

「まあ、ペーター。こんなところで眠って。」
その声に目をさますと、ママが立っていました。
ペーターはママと家に帰りました。
鞄の傷はなくなっていませんでした。

自分の部屋につくと、ペーターは鞄をあけました。
そして、黄色い葉っぱを、一枚一枚、窓にたてかけるようにして置きました。

葉っぱたちを見ていると、ペーターはうれしい気持ちでいっぱいになりました。
鞄の傷のことは、もう気にならなくなっていたのです。





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