【将棋感想】20歳の対話――藤井聡太竜王 対 伊藤匠五段

 11月29日、棋王戦トーナメント(敗者復活戦)において、藤井聡太竜王の対局があった。AbemaTVでも放送があったので、視聴した人は多いのではないだろうか。相手は昨年度の勝率一位賞および新人賞受賞者である伊藤匠五段。
 あるいは、逆の書き方もできる。「11月29日、伊藤匠五段の対局があった。相手は将棋界の序列第一位・藤井聡太竜王である」と。どちらか一方を主人公に仕立て上げたいわけではない。そのような資格を、一ファンに過ぎない私は持ち合わせていない。
 とにかく、藤井竜王と伊藤五段は真剣勝負に臨んだ。ともに20歳。将棋界の未来を背負う2人の対局を、私は固唾をのんで観戦していた――。
 
 
 藤井竜王と伊藤五段は単に同い年であるというだけではなく、小学生のときの対局、朝日杯、Abemaトーナメント(団体戦)、記念対局など、すでにいろいろな因縁があるわけだが……今回の対局とは直接関係しないのであまり掘り下げないこととする。
 私が注目したのは2人の過去の関係ではなく、まさに現在――盤上で繰り広げた熱戦の方である。
 
 29日に行われたのは、先述の通り敗者復活戦である。トーナメントベスト4で敗れた藤井竜王と伊藤五段がまず戦い、勝った方が次に“永世七冠”羽生善治九段と対局する。そこでの勝者が敗者復活戦勝ち抜けとなり、“貴族”佐藤天彦九段が待ち構える挑戦者決定戦に進むことができるのだ。棋王挑戦のためには1敗もできない――藤井竜王と伊藤五段にとっては後がない状況であると言える。
 その重要な一局だが、なんと67手目まで、過去に行われた“とある対局”と同様の進行となった。無論、偶然ではない。将棋には膨大な枝分かれが存在するため、最初の2~30手ならともかく、67手目に至るまで偶然にも同じ手順が指されることはまずあり得ない。確実に「前例」を踏まえた深い研究がそこに存在する。
 
 そしてその“とある対局”というのは、2022年9月13日に行われた、永瀬拓矢王座と豊島将之九段による王座戦第二局である。
 
“軍曹”永瀬王座と“序盤中盤終盤隙がない”豊島九段――2020年の叡王戦で死闘を繰り広げた2人だ。あの年の叡王戦は七番勝負だったにもかかわらず、引き分けに次ぐ引き分けによって第九局(千日手局を含めれば第十局)までもつれた。結果は、挑戦者の豊島九段(当時竜王)から見て4勝3敗2持将棋1千日手。豊島九段は歴史に残る激闘を制し、叡王位を奪取したのである(豊島? 強いよね)。
 総手数1418手は、タイトル戦史上最長記録となった。
 
 いわば宿敵同士。
 その両雄が今年の王座戦五番勝負で、再び相まみえた。
 
 第一局は豊島九段の勝利。そして迎えた第二局は、見る者を驚愕させる衝撃の一局となった。午前中の時点で93手目まで進行。王座戦は持ち時間5時間であり、夜まで対局が続くと想定されているにもかかわらず、なんと昼前に終盤に突入してしまったのだ。
 両者の深い研究を感じさせる進行速度だったが、先に優位に立ったのは豊島九段だった。そのままあわや攻め切るかという場面もあったが……永瀬王座はこらえきった。118手目で千日手が成立。これで流れを変えた永瀬王座が、指し直し局に勝利した。
 王座は勢いに乗り、3勝1敗で防衛に成功――叡王戦の借りを返すと同時に、王座戦四連覇を達成したのだ。
 
 ……さて、話を戻そう。先日行われた藤井伊藤戦は、67手目まではまさにその豊島永瀬戦と同じ進行だったのである。
 先ほども書いたように、これは決して偶然ではあり得ない。藤井竜王は間違いなく豊島永瀬戦の棋譜を研究した。そして「その先」を見たいと思ったのではないだろうか。あの対局が千日手(引き分け)になることなく最後まで綴られた別の未来を、見たいと思ったのではないだろうか。
 そして言うまでもなく、将棋は一人では指せない。相手がいなければ対局は成立しない。
 
 将棋は基本的に先手が主導権を握り、自分の望んだ局面へと誘導しようとする。だが、後手がその誘導に乗るか、それとも抵抗するかはその時々によるし、誘導がうまくいかないときももちろんある。先手である藤井竜王に意図があったとしても、後手の伊藤五段が拒絶する可能性は常にある。
 竜王は“あの対局”と同じ道を進み、伊藤五段を一歩一歩導いた。盤上では目に見えぬさまざまな駆け引きが行われた。「棋は対話なり」という言葉があるように、将棋指しは将棋によって相手と語り合うわけだが、きっとこのときもそうだった。「君もこの先が見たくはないか?」という無言の問いかけが盤上にあらわれていたように、私には思えた。
 
 その問いかけに、盤を挟んで向かい合う伊藤五段は応えた。
 
 対局は前例から離れたあとも、83手目までほぼノンストップで進んでいく。当然、深い事前研究があってこその展開である。それは藤井竜王と伊藤五段――若き2人の棋士の挑戦であるように見えた。
 伊藤五段の猛攻に対し、藤井竜王が受けて立つという構図で、対局は進行した。伊藤五段の振るう剣を、大鉈を、竜王は紙一重でかわしていく。徐々に伊藤五段は苦しくなっていった。逃げ続ける藤井竜王の玉は、ついに敵陣にまで到達――いわゆる入玉である。
 
 私は個人的に、入玉が好きだ。将棋は前にしか進めない駒(あるいは後ろに下がりにくい駒)が多いので、敵陣に入る(=敵の背後をとる)ことで負けにくくなる。というか、普通は不敗の態勢となる。大将自ら敵陣へ突進することで、時には敵の玉を一度も攻めることなく勝利をもぎとることができる――そんな不思議でスリリングな戦法、入玉が好きだ。
 
 そう、普通は入玉すれば玉は安全になる。
 しかし、この藤井伊藤戦は違った。藤井玉は敵陣に入り込んだのに、伊藤五段は諦めなかった。竜王に立ち向かう新鋭は罠を張り続け、自陣に侵入した藤井玉を脅かし続けた。
 対して、藤井竜王は逃げ腰になることなく受けて立った。安全策ではなく殴り合いを選んだ若き王者の指し回しは、最後まで正確無比だった。
 刀折れ矢尽き、伊藤五段はついに投了。135手。対局は藤井竜王の勝利で幕を閉じた。
 
 私は一介のアマチュアに過ぎず、藤井竜王の真意は分からない。すべてはただの推測である。しかし、あの豊島永瀬戦を――衝撃の千日手局を意識せずにこの棋譜を紡ぐことは、おそらく不可能だろう。
 豊島永瀬戦という下敷きがあったからこそ、藤井伊藤戦の棋譜は誕生した。あの宿命の王座戦が、王者と新星の対決を名局とした。
 私には、そう思えてならない。
 
 将棋の「序盤研究」というものは「丸暗記」などと揶揄されることもある。しかし私はその裏側に存在する、人間の将棋への挑戦について思いを馳せずにはいられない。
 藤井竜王はおそらく、あの豊島永瀬戦の先に何かを見た。ゆえにこそ、この重要な一局で同じ作戦を採用したのだ。そして、同様の局面を研究していた伊藤五段が受けて立ったことで、豊島永瀬戦の「その先」が紡がれた。
 
 もちろん、藤井竜王が研究しているのは豊島永瀬戦だけであるはずがない。
 棋士たちは毎日のようにしのぎを削り、新たな棋譜を生み出し続けている。その膨大な棋譜を調べ、自分なりに改良したものが、研究成果として対局で披露されることとなる。実戦として盤上にあらわれるのは、研究のうちのほんの一部に過ぎない。それがどれほどの気力と体力を必要とする作業なのか、常人には想像もつかない。
 幼き頃より己を磨き上げ、ライバルたちと切磋琢磨し、その上で気が遠くなるほどの事前準備に今日を費やすからこそ、明日の名局が生まれるのだ。
 
 
 あの日、2人はきっと将棋の未来を見ていた。
 彼らの将棋をわずかでも理解したいと願いながら、アマチュアの私も研鑽に励もうと思う。