【短編小説】リベンジエッセイ
「そう、たけのこではなくきのこを持って行った。そのせいで大炎上してしまったんだ」
テーブルの向かい側に座った小太りの男が、声をひそめてそう言った。昼間のカフェはかなりざわついており、周囲に会話が漏れる心配はなさそうだったが……それでも彼は盗み聞きを過剰に恐れている様子だった。
「飼い犬に手をかまれた気分だよ。せっかく仕事を回してやっていたというのに」
「なるほど」
「分かるかね、私の気持ちが。いわれのない誹謗中傷にさらされている私の悔しさが」
「ええ、よく分かります」
涼一郎は適当に相槌を打った。非常に面倒なことだが、とりあえず依頼人の不満をひと通り吐き出させないことには仕事にならない。この手の輩は訊いてもいないのに、いかに相手に落ち度があったか、いかに自身が清廉潔白なきのこ派であるかと語りたがるものなのだ。
涼一郎はホットコーヒーに口をつける。目の前の男の言葉を聞き流しつつ、頭の中で情報を整理した。
向かいの席の男――田端は、とあるイラストレーターに仕事を依頼したのだが、その際、理不尽とも言える描き直しを何度も要求した。必然的に納品は遅れ、田端はそれを理由に約束の金の支払いを渋った。交渉の末、結果的には満額を支払うことが決まったものの……イラストレーターとの溝は残った。
だから田端は、打ち合わせの際にお詫びの品を渡し、相手のご機嫌を取るように会社から命じられた。しかし、それが逆効果だった。
そのイラストレーターはたけのこ派を公言していたのだ。にもかかわらず田端が持っていったお詫びの品はきのこだった。社会人としてはあってはならない、あまりにも非常識な行いである。これが決定だとなり、後日、そのイラストレーターはSNS上にエッセイ漫画を投稿した。当然、田端を告発する内容だった。
「担当T」は、汗水を垂らして描き上げたイラストに金を払おうとしないばかりか、たけのこ派にきのこを渡すほどの危険人物である、と。
「そのエッセイ漫画は、もう万単位のリツイートを集めている」
田端は苦虫をかみつぶしたような顔でそう言うと……皿の上のサンドイッチをわしづかみにし、乱暴に食いちぎる。彼の目は怒りに燃えていた。
「反論したいが……私のフォロワーは300人……。うまく拡散されるかどうか分からない」
「まあ、されないでしょうね」
涼一郎は肩をすくめた。田端は眉間に深いしわを寄せる。
漫画の中で、田端は「担当T」という名で描かれていたが、ネット上に棲息する「特定班」という者たちによって、あっさりと素性を突き止められてしまった。エッセイ漫画の拡散は今もなお続いており、たけのこ派ときのこ派が薪をくべ続けている。
たけのこ派ときのこ派がかかわっているとなると、尋常な方法では炎上を止められないだろう。
「このままでは、世の人々はあのエッセイ漫画を真実だと思い込んで生きていく。会社にはいつまでも抗議の電話がかかってくる。おまけにたけのこ派から命まで狙われる」
椅子の上で窮屈そうに身をよじりながら、田端は言った。思い込むも何も、真実は真実だろうと思ったが……その点について、涼一郎は指摘しなかった。
「分かりました。それで僕の力が借りたいということですね」
「そうだ、頼む。なんとか適切に“処理”してくれないか」
「報酬さえもらえれば」
「もちろん払おう」
田端は身を乗り出した。イラストには金を払わないくせに、火消しのためにはその何倍もの金を払う。いつものことだが、こうした者たちの価値観が、涼一郎には分からない。分かる必要もない。彼はただ淡々と仕事をするだけだ。
二、三の契約事項を確認して、涼一郎は田端と別れた。一人、自宅のあるマンションに向かって歩きながら、考える。
「反抗的なイラストレーターを“処理”してほしい」という、この手の依頼は増え続けている。多くの企業は、「無料でも描いてくれる」「決して文句を言わない」「何度でもリテイクを受け付ける」「きのこでもたけのこでも気にせず食べる」というイラストレーター以外は必要としない。その条件に適合しない者は、涼一郎たちによって“処理”されることとなる。
このまま涼一郎たちが“処理”を続ければ、いずれは従順なイラストレーター以外は死滅し、企業にとっての理想郷が築かれることだろう。それは天国なのか地獄なのか。きのこなのかたけのこなのか。涼一郎にとってはどうでもいいことだ。
「……さて、どうするか」
マンションに着き、エレベーターに乗り込んだところで、涼一郎はポツリとつぶやいた。
イラストレーターを“処理”する方法はいくつもある。一つは“恫喝”や“拷問”。イラストレーターに圧力をかけることで、エッセイを取り下げさせるわけだ。その上で、「誤解を与える表現でした」とか「私の責任です」とか「実は私もきのこ派です」といった内容を発信させる。どんな神絵師でも基本的にはフリーランス――後ろ盾があるわけではないので、こうした圧力をかけることは容易い。
しかしながら、「消すと増えます」がインターネットの法則だ。おまけに、企業がこの手法を多用したせいで、最近ではネットユーザーたちに見破られてしまうようになってきた。きのこ派、たけのこ派の結束が以前より強くなっているのも厄介な点だ。
「やはり、消さずに押し流すのが一番いい」
そうつぶやくと、エレベーターをおりた涼一郎は通路を進み、自宅のドアを開けた。イラストレーターを“処理”して得た金で手に入れた部屋だ。ドアや窓を開閉する音は彼らの苦悶の叫び、蛇口から出るのは彼らの血。
涼一郎は冷蔵庫からきのこを取り出すと、ゆっくりと廊下を歩いて奥の書斎へと向かう。
件のイラストレーターは、リベンジエッセイで炎上させる。それが一番良さそうだ。
ネットユーザーの中には、「そのイラストレーターにも問題があったのでは?」とか「一方の意見だけでは判断できない」とかいう考えを抱く者もいる。その冷静ぶった感情を利用するわけだ。田端の主張を盛り込んだエッセイ漫画を投下することで、ユーザーを分断する。
イラストレーターへの批判が増えれば、炎上は次第にユーザー同士の争いへ――必然的にきのことたけのこの抗争へと変化していく。「どっちもどっち」という印象を植え付けることができれば、事態はうやむやのうちに収束する……。
「おかえり」
「っ……!?」
きのこを片手に書斎のドアを開けた途端、涼一郎は、呼吸が止まるかと思った。彼は一人暮らしだ。出迎える人間などいるはずがない。
それなのに、書斎の椅子には一人の女が腰を下ろしていた。20代後半と思しきその女は、たけのこを左手に持ち、濁った眼を涼一郎に向けていた。
「遅かったね」
「何者だ……!?」
「竹のの子って言えば分かるでしょう?」
女は肩をすくめ、たけのこをかじった。涼一郎はとっさに逃げ出そうとしたが……足が止まる。女の右手には銃が握られ、銃口はピタリと涼一郎の胸へと向けられていた。
竹のの子。
たしか、二か月ほど前に涼一郎が“処理”したイラストレーター……。
「ずいぶん時間がかかったよ。あのリベンジエッセイの作者を見つけるまで」
竹のの子は銃口を逸らすことなく淡々と語り、たけのこをかじる。
「担当編集者のあとをつけて、何日も何日もかけて……ようやくあなたに辿り着くことができた。本当はリベンジエッセイに対するリベンジエッセイを描こうと思ったんだけれど……もう面倒になってね」
竹のの子はため息を吐く。涼一郎の額に脂汗が浮かぶ。銃口がギラリと不気味に輝く。
「あなたはきのこ派みたいだね。だったら遠慮はいらない。卑怯者にはこれが一番」
「ま、待て……! 貴様もイラストレーターなら絵で勝負……!」
ドンッ
「がはっ……!」
銃声とともに、涼一郎の胸には風穴があいた。血が流れ出ていく。イラストレーターたちと同じ赤色――“処理”に際して何度も何度も見たのと同じ色だった。
彼は力なく、床の上に横倒しになった。顔のそばにきのこが転がったが、もはや口に入れる力もない。竹のの子は冷たい目で彼を見下ろす。またたけのこをひと口かじる。
「絵は鉛玉よりも強い。絵には世界を変えていく力がある。たしかに私はそう信じてる」
「か……かはっ……」
「けれど、鉛玉の方が手っ取り早いときもある」
ドンッ
再び銃声。今度は体のどこに穴があいたのか、涼一郎には分からなかった。理解できたのは一つだけ。命が流れ出ていくということだけだ。血だまりが広がり、きのこが赤く染まっていく。
涼一郎の意識は薄れゆき……間もなく途絶えた。