【短編小説】悪魔が契約してくれるっていうけど願い事を思いつかない

「ワシは勝ち負けを司る悪魔じゃ。ワシと契約すれば、勝負事で1年間負けなくなる」
 自宅のPCの前で――タカヒロは突然、悪魔に話しかけられた。ちょうど、オンラインゲームで25連敗を喫し、手にしたゲームパッドで画面を叩き割ろうとしたときだった。悪魔はコウモリに似た翼を持つ、手のひらサイズのじいさんだった。ぬいぐるみみたいな見た目だが、自分で悪魔と名乗るからには悪魔なのだろう。
「悪魔……初めて見たぜ。実在したのか」
「うむ、驚くのも無理はない。ワシら悪魔は健全な精神の持ち主の前にしか現れんからのう。具体的には、『何の努力もせずに勝利を手にしたい』とか『自分より頑張ってきた人を楽にぶちのめしたい』とか、そういう純粋な想いを抱いている者を探し、契約を持ちかけるわけじゃ」
「そうか。俺の心が清らかだったから、あんたは会いに来てくれたわけか」
「そういうことじゃ。どうじゃ、契約に興味はないか?」
 悪魔はパタパタとはばたき、タカヒロの顔の近くを飛び回った。タカヒロはとりあえず、PC画面を破壊するのをやめてゲームパッドを床に放り捨てた。
「勝負事で無敵になれる契約……。けど、悪魔との契約ってくらいだからデメリットがあるんだろう?」
「良いところに気づいた。その質問をしなければ、『訊かれなかったから教えなかった』という、悪魔の常套句を使わねばならんところじゃった」
「ひでーな……」
「もちろんデメリットはある。契約料はおぬしの命。きっかり1年後には、ワシの必殺技“心臓もぐもぐ”で死んでもらうことになる」
「ずいぶん高いな、契約料が。安くはならないのか」
「残念じゃがびた一文まけることはできん。ああ、痛くはないから安心じゃ」
「心臓をもぐもぐされるのに痛くないのか。だったらいいか……」
 タカヒロはそうつぶやき、自分の左胸をシャツの上からそっとなでた。
 仕事を辞め、実家にも帰れず、わずかな貯金を食いつぶしながらオンラインゲームばかりしている彼には、将来などないも同然である。それなら、1年間好き放題したあとこの世を去るのもまた一興。
「勝負事っていうのは、どんなものでもいいのか?」
「うむ、勝ち負けのある人間の営みであればなんでもよい。ただし選べるのは1種目だけ。チーム戦はサービス対象外じゃ」
 タカヒロの散らかった部屋をふよふよと漂い、18禁の同人誌に興味津々の目を向けつつ、悪魔は語る。
「たとえば『じゃんけん』を選べば、1年の間は世界最強のジャンケニストになれるが、コイントスには効果が及ばない」
「ジャンケニスト……」
「『将棋』を選べば将棋では勝ち続けられるが、囲碁で勝てるとは限らない」
「でも、将棋って運の要素が全然ないぞ。初心者が勝てるイメージが湧かないんだが」
「心配無用、相手がプロであろうと将棋星人であろうと必勝じゃ。対局場に隕石が落下し相手だけが死ぬとか、食あたりで棄権するとか、まあそんなところじゃ」
「ええ……? それはまずいな。対戦相手が連続で病欠とかになったら、絶対に不正を疑われる」
「なに、そうなのか。人間というのは弱いくせにあまり病欠せんのか、妙な生物じゃ」
「麻雀はどうだろう……。勝ちすぎないように適度に振り込んだり、ノーテンで終わらせたりってことはできるのか?」
「それは無理じゃ。一度『麻雀で勝ちたい』と契約してしまえば、どんなに負けたくても勝ち続ける」
「手牌をわざと崩すように打つのは?」
「無駄じゃ。おぬしの手が滑って適切な牌が切られ、嫌でも高打点の手で和了することとなろう」
「マジかよ。呪いみたいだな」
 タカヒロはげんなりした。となると、運の要素が強い種目では、むしろ不自然さが増してしまう。
「対人戦は無理だな。……じゃあ、やっぱり競馬か」
「ほお、競馬。夢があるのう、一攫千金じゃ」
「勝てるって分かっているなら、手っ取り早く金を稼げるからな。問題は、使い切る前にお迎えが来そうってことだ」
「どうする? 大金を得てもむなしいだけだと思うなら、契約はやめておくか?」
「……いや」
 タカヒロは首を横に振った。汚く狭い自身の部屋を――もうこれ以上良くなることはない小さな世界を、あらためて眺める。
「どうせ下っていくだけの人生だ。それなら1年間だけでも夢が見たい」
「そう来なくては面白くない」
 悪魔は笑った。そして床に落ちていたエナジードリンクを勝手に開けて、ぐびぐびと飲み干す。
「ごくごく……ぷはっ。うむ、力が溢れてくる。では競馬に決定で良いのか?」
「ああ、よろしく頼む」
「良い決断力じゃ。契約成立!」
 エナジードリンクから力を得た悪魔は、タカヒロに向かって手をかざす。悪魔の手から光が発せられ、タカヒロは強烈な眠気に襲われた。まぶたが重くなり、意識が遠のく。タカヒロは万年床の上に倒れ、意識を失った。そして次に目が覚めたときには……。
 
 ……。
 …………。
 ………………。
「全然ダメじゃねぇか!」
 レース結果をネットで確認したタカヒロは絶叫した。PCの画面を何度見返しても無慈悲なる現実は変わらない。3連単で大穴を狙って賭けたのだが、見事に大外れである。
「このじいさん、悪魔のくせに嘘つきやがったな……。こんな悪魔らしい見た目なのに……」
「心外じゃな。悪魔は契約に関して嘘は吐かん」
「なに?」
「悪魔に裏切られたと騒ぐ場合、たいてい人間側に問題があるんじゃ。そもそも、そんなふうに画面の前に座っているだけで勝てるはずなかろう」
「は? え?」
「競馬で勝ちたいのに、なぜ馬に乗らんのじゃ。おかしな奴じゃのう」
「な、なんだと……!?」
 タカヒロは青ざめ、危うくそのまま失神するところだった。彼は即座に、自分の致命的な過ちに気がついた。
「ふざけるな」
「ふざけてなどおらん。ワシは大真面目じゃ」
「そんな契約は無効だ、クーリングオフさせろ」
「自分から契約しておいて無効を主張するとは……いつの時代も人間は勝手じゃのう」
「そっちの説明不足が原因だろう」
「訊かれなかったから教えなかっただけじゃ」
「それに、俺のエナドリ勝手に飲んだだろ。あれは契約になかったじゃないか。となると、先に違反をしたのはそっちだ」
「む……あれはまあ、美味そうじゃったから勢いで……」
「あんたの上司にクレームを入れてやる」
「なに、それは困るぞ。しかし、一度契約したら解消はできんし……」
「だったらせめて、契約期間をずらしてくれ。今日から1年間で騎手になるなんて無理だ」
「なに、そうなのか?」
「悪魔でも知らないことがあるんだな。麻雀とかは詳しそうだったのに」
「麻雀と将棋は100年くらい前からのワシの趣味じゃからな」
「ああ~……」
 
 タカヒロはその後、ネットで競馬学校について検索し、悪魔のじいさんに説明した。じいさんは頑なで、なかなか契約変更を認めようとしなかったが……タカヒロは辛抱強く、この命懸けの交渉を続けた。
「20歳未満しか入学できないらしいな。年齢をごまかす方法はあるか?」
「そんなオプションは本来受け付けておらんのじゃが……」
「あんたが説明を省いたせいでこんなことになったんだ。ちゃんと面倒見てもらうぞ」
「やれやれじゃ」
 
 
 一匹の悪魔と一人の人間――GⅠジョッキーを目指す研鑽の日々は、こうして始まったのだ。