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数学と情緒と身体性

「数学って,そもそも何だろう?」ということを,ふとした時に考えます.
自分の中で漠然とした答えは浮かぶものの,明確な輪郭は捉えられず,また,それが正しいのか分からない.

『数学する身体』という本は,タイトルに惹かれました.“数学”と“身体”を結び付けて考えたことが無かったので,新鮮だったのです.

“数の学問”ではない

おそらく数学を学ぶ人の総意ですが,ぼくは「数学=数の学問」とは思っていません.
数を研究することも数学ですが,それは一側面に過ぎないと思っており,数を捨象したところにある面白さもあると思っています.

なので,本書の中の次の文が印象的でした.

私たちが学校で教わる数学の大部分は,古代の数学でもなければ現代の数学でもなく,近代の西欧数学なのである

「これが,違和感の正体だったのか」と思いました.
長い歴史と多様な側面を持つ数学の,ほんの一時代,ほんの一部のみを切り取って学校で教わっているんだ,と.

ただ,この辺までは「今までの理解がより深くなった」という話で,新鮮な話ではありませんでした.
本当に刺激的だったのは,この先です.

数学の世界

「わからない」のはあくまでこちらの話で,数式の方は平気でその「存在」を主張してくる

“2乗して$${-1}$$になる数”なんて,訳が分からないと思います.
初めて聞いたときには,「そんなのアリ?セコくない?」と思いました.

でも,数式を解いていけば,虚数の存在を認めざるを得ない.

そんなことを表したのが上の記述ですが,これは衝撃的でした.
「数式の方」という表現です.

「こちら(人間)」には見えていない,「数式の方」の世界があるというのです.

いわば“数学の世界”とでも呼ぶべき世界があるというのです.

でも,心当たりはあります.
本書の中で触れていた数直線の話は非常に分かりやすかったです.

当たり前ですが,“数学の世界”には五感で触れることができません.

数学と情緒と身体性

これは,森田さんの表現ではなく,岡潔さんの引用とのことですが,

肝心なことは,五感で触れることのできない数学的対象に,関心を集めるづけてやめないこと

本書の中で,“情緒”という言葉が頻出します.
最初はまるで意味が分かりません.
「数学で,情緒???」

でも,岡潔さんの引用を読み,少し分かってきました.
なるほど.“数学の世界”といかに向き合うかということだったのか.

“数学の世界”という五感で触れることのできない世界と向き合う我々人間は,一方で五感で触れる質量の世界を生きています.
だから,“数学という行為”の身体性を探り,数学と人間の接点を求めるのでしょう.

数学の先に“心”を探す数学者の在り方に,深く考えさせられました.

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