見出し画像

「数学が物理と違うのは,単位が捨象されていること」と言ったら「数学における単位は単位量ですよ」という頓珍漢な答えが返ってきた

とある数学と物理を愛でるコミュニティ(何そのキモいコミュニティ)に入っていたときのこと.

メンバーの1人が,「数学と物理の違いは何だと思いますか?」という議題を投げたので,何か端的な答えはないかなぁと考えた結果,「物理には単位があるが数学では単位が捨象される」と答えてみた.


物理には単位があるが数学では単位が捨象される

まず僕の回答の意味の説明を.

例えば物理の問題で,長さを測るときにはmメートルを使う.
一方で,数学の問題では「長さを$${2}$$とする」のように単に数だけが与えられ,単位は無視される.(もちろん単位を含む文章題などはあるが,学年が上がるにつれて単位が無視された出題が増えるということから,数学の本質は単位のない問題の方だということが分かるだろう

これは,数学では概念と数のみを扱うからである.

例えば速さを求めるときは「距離÷時間」という計算をするが,この「距離÷時間=速さ」という式は,距離・時間・速さのそれぞれの概念の関連性を示した式に他ならない.
そして,具体的に計算するときにはそれぞれの概念に数を当てはめ,その数的関係を調べることになる.

数的関係を調べるだけだから,その距離の単位がmメートルであるかcmセンチメートルであるかはどうでもいいのである.
ゆえに,距離$${2}$$mメートルや$${2}$$cmセンチメートルからmメートルcmセンチメートルを捨て,いずれも$${2}$$として同一視する.
これが,「数学では単位が捨象される」の意味である.


予想される反論

僕の答えに反論があり得るとすれば,「物理でも単位が捨象される」あるいは「数学でも単位は捨象されない」だろう.

僕の知識の範囲内では物理では単位は捨象されないと思うが,僕は物理に関して専門的なことは分からないので,「物理でも単位が捨象される」と言われればそれ以上つっこむことはできない.

また,数学に関して,「数学でも単位のつく問題を解くことはあるのだから,数学で単位が捨象されると言うのは間違ってる」と言われれば,少し答えに詰まる.
というのも,僕が主張するのは「“本来の”数学では単位は捨象される」ということであり,“本来の”という部分に多かれ少なかれ主観が入っている.

ゆえに,「物理でも単位が捨象される」「数学でも単位は捨象されない」はある程度妥当な反論として受け入れることができる.

しかし,返ってきた反論はあまりにも頓珍漢なものだった.


数学における単位は単位量?

返ってきた反論はこうだ.

数学における単位とは単位量のことなので,物理の単位とは異なります

……は?


とりあえず,この文言の意味を説明しておく.

単位量というのは,例えば割合を考えるときに使う考え方のことで,濃度$${30}$$%($${=0.3}$$)の食塩水と言われたら,食塩水$${1}$$gあたり$${0.3}$$gの食塩が含まれていることを意味する.
ここでは一旦「食塩水$${1}$$gあたり$${0.3}$$g」としたが,別に「食塩水$${1}$$kgあたり$${0.3}$$kg」でも構わない.すなわち,$${30}$$%という割合が示すのは,「$${1}$$あたり$${0.3}$$」ということである.

この,「$${1}$$あたり」という考え方を「単位量あたり」という.

要は,単位量とは$${1}$$のことである.
数学では,$${1}$$を基準にするという考え方がよく用いられるため,単位量という考え方がよく出てくる.


頓珍漢である理由

なぜこの反論が頓珍漢なのか.

数学における単位とは単位量のことなので,物理の単位とは異なります

トートロジー的な論理でいくと,単位とは単位のことであって単位量のことではない.
単位量のことは単位ではなく単位量と言う.(ゲシュタルト崩壊してきた

正直,これで決着が着くのだが.


細かく見ていくと,まず,僕の主張はこうだった.

物理には単位があるが数学では単位が捨象される

「物理には単位がある」と言っているので,僕が言及しているのはmメートルなどの物理における単位のことであって,決して単位量のことではないと分かる.

そして,その単位が数学においては捨象されると言っている.
すなわち,数学の世界には単位などないと主張している.
数学の世界に確実に存在する単位量は全く無関係である.

物理における単位が数学において存在するか否かを問題にしている主張に対して,単位量の話題は論点がズレている.

サポートしていただけますと,インプットに充てる時間とお金が増えてとても助かります!