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定義の妥当性は解り易い.公理の妥当性は,

何らかの定義を作るとき,その定義対象の存在が証明できるならば,その定義は妥当であると言える.


一方で,公理はどうだろうか.
存在することを証明する必要がないのだから,原理上は「なんでもあり」である.

しかし,“妥当な公理”と“妥当でない公理”は確かに存在する


そもそも,公理とは何であるか.

公理とは,ある数学体系の基礎となる,証明不要の命題である.
言い換えると,ある数学体系における,あらゆる命題の仮定を担っている

例えば,一つの角の大きさが30°である直角三角形の,もう一つの角の大きさは60°である.
なぜそうと分かるかといえば,三角形の内角の和は180°だからである.

では,なぜ三角形の内角の和は180°と言えるのだろうか.

というように突き詰めていくと,必ず定義か公理に辿り着く.
さらに,定義というのは,その定義対象の存在が証明さらなければならない.その証明というのは,結局のところ公理を要する.

このように,数学体系を作るのに公理というのは必要不可欠である


しかし一方で,無闇に公理を増やすのは良くない
多すぎる公理は,妥当ではない.

この「妥当ではない」というのには二つの意味がある.


一つ目の意味は,平たく言えば「イケてない」ということだ.
前述した通り,公理を決めるだけならば「何でもあり」である.しかし,既存の公理から証明可能な命題まで公理としてしまうのは,証明から逃げる行為に他ならない.

二つ目の意味は,公理同士で矛盾が生じるリスクがあるということだ.


ただ,いずれにせよ公理が妥当か否かということの判定は一般には簡単ではない.
ゆえに,公理を決めるということは,数学者としてのセンスが問われる部分である

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