カフェにおける目的の乖離とラテアートについての考察

 インスタントコーヒーの普及によるファーストウェーブ、『スターバックス』に代表されるシアトル系コーヒーによるコーヒーの風味を重要視したセカンドウェーブ、これらは全て2000年頃までの世界に起こったコーヒーブームの呼称である。これらの文化は目まぐるしいスピードで我々の生活に浸透し、「波」から「潮」へと変貌を遂げた。では2020年現在、日本におけるコーヒーシーンは何が起こっているのだろうか。

 現在のコーヒーシーンを牽引している一つの言葉で「スペシャルティコーヒー」というものがある。皆さんも一度はどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか。これは味はもちろんのこと、トレーサビリティ(追跡可能性)、サステイナビリティ(持続可能性)までも重要視したコーヒーのことである。これについて、日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)は以下のように説明している。

『風味の素晴らしいコーヒーの美味しさとは、際立つ印象的な風味特性があり、爽やかな明るい酸味特性があり、持続するコーヒー感が甘さの感覚で消えていくこと。カップの中の風味が素晴らしい美味しさであるためには、コーヒーの豆(種子)からカップまでの総ての段階において一貫した体制・工程・品質管理が徹底していることが必須である。(From seed to cup)』(日本スペシャルティコーヒー協会 スペシャルティコーヒーの定義 より引用)

 今までのコーヒーシーンと比較して違うもの、それは明らかに体制・工程・品質管理へと視点が向いたことであろう。どんな体制で作られたコーヒーなのか、どのような工程を踏んでカップに注がれているのか。これは2000年代の入り環境問題フェアトレードについての考え方が浸透したことに起因する。今、コーヒーに求められているのはただの美味しいコーヒーではなく、農園からカップまで、そこに込められた「価値」なのだ。

 これがコーヒーにおける第3の波、「サードウェーブ」である。

 日本ではサードウェーブを機にコーヒーの持つ「本来の価値」を伝えるべく、街にコーヒースタンドやカフェが激増した。1970年代の喫茶店ブームの再来などとも言われ、日本人のコーヒーに対する親しみの深さが感じ取れる。特に若い世代におけるカフェブームは一際目を引くものがある。

 しかしそこにあるのは果たしてコーヒー本来の価値なのだろうか。若者は飲み物が渡されるなりスマホを取り出して写真を撮り、飲むことも忘れSNSに投稿をする。わざわざ一眼レフを使って席を立っての撮影や、ひどい時には飲み物を残してカフェを去ってゆく。そこにあるのはコーヒーの価値ではなく、私欲にまみれた自己顕示の道具ではないか

 その中でも特に顕著な例として、ラテアートがある。これはカフェラテのミルクを使って表面に模様を描いたものの総称であり、InstagramをはじめとするSNSの普及を受けて一気に浸透した文化の一つだ。若者たちはラテアートの描かれたカフェラテを目の前にすると、真っ先に写真を撮り、SNSにアップすることで自分のおしゃれな体験を見せびらかしている。

 また、ラテアート自体には味をよくする効果はもちろんなく、むしろ結果的に悪い影響を与えているとまで言えそうだ。実はこのカフェラテ、作った瞬間が一番美味しい瞬間で、そこから品質はどんどん落ちていくと言われている。これはエスプレッソのクレマとフォームミルクによる乳化に原因があるのだが、少し趣旨から外れるのでここでは割愛させていただく。つまり、我々はカフェラテが運ばれてきたのちにその写真を撮ることで、毎秒美味しさを損ねているのだ。

 「コーヒーの本来の価値」についてを共有する場として機能させようとしたカフェやコーヒースタンド。しかし実際に消費者に伝わっているのはコーヒーの価値ではなく、その場に自分がいるという消費者自身への付加価値である。なぜこのような乖離が生まれてしまうのだろうか。その原因は、実は第2の波「セカンドウェーブ」に見ることができる。

 セカンドウェーブを見事に乗りこなして一世を風靡し、今も尚コーヒーシーンで欠かせない存在となっているスターバックス。セカンドウェーブが去った現在、スターバックスが売りにしているのが「空間」である。広いスペース、美しいデザインを押し出し、カフェが人生のサードプレイスであると人々に強く根付かせてきた。カフェはコーヒーの美味しさやそのものの価値を共有する場所から一つの空間としての社会的地位を確立してきたのだ。その結果、カフェに求められるものが「美味しいコーヒー」から「おしゃれな場所でおしゃれなものを飲む自分自身の姿」へと変化してきた。

 では、カフェはラテアートをやめコーヒーを追求する文化を推進すべきなのであろうか。そうではないと思う。その理由の一つが、ホスピタリティとしてのコーヒーの価値だ。

 ホスピタリティとは、日本語で「もてなし」という意味である。日本では特に重要視されるおもてなし。五輪招致の際には流行語にもなった言葉だ。古来より布施の精神としても伝わり、茶道などでは一連の動作や形式も含めおもてなしのようになっている。ラテアートとはコーヒーにおけるおもてなしの精神。カップに至るまでの全てに視点がおかれるスペシャルティコーヒーでは、コーヒーそのものの価値として位置付けられつつあるのではないだろうか。

 また、ラテアートは美味しいカフェラテの指標として見ることもできる。適切に抽出されたエスプレッソ、丁寧にスチームされたミルク、これらがなけらば美しいラテアートは実現できないのである。美味しいコーヒーを求める人たちにとっても、お店を選ぶときの良い指標となりうるかもしれない

 ラテアートはコーヒーの本来の価値を伝えたいと考えるカフェやコーヒーショップにおいて、味を損ねるマイナスな影響だけでなく、新たな価値の創造美味しいコーヒーへの羅針盤という役割があるのだ。

 もちろん、このラテアートによりカフェラテ本来の味が損なわれてしまっていることも事実である。おしゃれなカフェでこの文章を読んでいるあなたも、おもてなしの一つとして写真を撮って楽しむのももちろんいいが、ここは一つ、美味しさの観点からコーヒーを楽しんでみてはどうだろうか。

 最後に、スペシャルティだの本来の価値だの面倒なことばかり言ってコーヒーってやっぱりめんどくさいし敷居高いな、と思わせてしまったら申し訳ない。味わからないし、と言っているう人もぜひ最寄りのコーヒー店などでスペシャルティコーヒーを飲んでみてほしい。きっとコーヒーとは思えないフルーティーな体験や、ラテアートをはじめとしたおもてなしが待っている。これを機に、無限に広がるコーヒーの世界へ一歩踏み出してみてはどうだろうか。

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コーヒーに携わるしがない地方大学生です。ゆくゆくは短編なども載せられれば。
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