公式戦800勝達成 青野照市九段 アマ二段からA級棋士に 棋士人生50年と引退を語る
青野照市九段が、2月20日に行われた対局に勝利し、公式戦通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成した。史上26人目、71歳は史上最年長記録だ。
終局後に取材を受けた青野九段は「若い頃はC級2組から落ちるまでやるつもりはなかったですが、現役50年と800勝という目標ができたので、それに向かってやるのも意味があるかなと今年まで続けてきた。最後の1勝、2勝がこんなに重いとは思わなかったですね。通算負け越し(895敗)で800勝は今後でないでしょう(笑)。才能のある人にはただの通過点でしょうが、プロになれる素質がないと思っていた私みたいな棋士でも達成できるんだと、目標にしてくれる人もいるんじゃないかという気がします」としみじみ語った。
棋士生活50年。1月の順位戦C級2組で3つめの降級点が確定し、残る公式戦を全て敗退した時点で現役引退となるが「残っているうちは引退したとは思っていません。最後まで頑張りたい」と語った。
晩学のスタート
私は1953年1月31日、静岡県焼津市の水産加工業を営む家庭に3人兄妹の長男として生まれました。
将棋をいつ誰に教わったのかは覚えていません。祖父が大の将棋好きだったようですが、私が2歳の頃に亡くなっているので教わったはずがない。ただ、将棋盤をおもちゃ代わりにしていたのは間違いないようで、遊んでいる中で自然にルールが身についたのでしょう。3歳のときには駒字を読めていたと聞いています。
昔はどこの町でも縁台将棋が見られました。私もゲームの一つとして将棋を楽しんではいましたが、小学校時代はそういう関わり方だけでした。本格的に勉強しようと棋書を読み、焼津支部の道場に通い始めたのは、中学に入る頃からです。初めて認定されたのは10級。いまでいうと5、6級ですかね。最初は初・二段クラスに2枚落ちでも歯が立たなかった。
勝ちたい一心から、どんどんのめり込んでいきました。平日は学校から帰宅して定跡書を読み、土曜日は学校帰りに本屋で棋書の立ち読み、日曜日は支部道場で腕試しという毎日。『将棋世界』も愛読していたので、プロの世界があることは知っていました。
親父の知り合いの人の誘いで、大井川鉄道の起点の金谷町という所で開かれた小さな大会に出場し、そこで初めて師匠となる廣津久雄(当時八段、後に九段)と出会いました。記念に4枚落ち指導対局を指してもらい、負かされたのもすごく覚えています。将棋大会に出たのはそれぐらいで、県大会には最後まで出たことがなかったし、焼津市でも1番になれずじまい。道場にそれほど強い人がいなかったせいか、私は中学3年になってもアマ二段でした。だからプロ棋士になりたいと切り出したときには、師匠がよく断らなかったなと思います。普通なら100パーセント無理だって言うでしょう。
自分で言うのもおかしいけれど、学校の勉強のほうがはるかにできた。将棋に熱中して宿題はやりませんでしたが成績はよかったんです。得意だった科目は英・数・理。将棋にも理数系のような面白さを感じたんでしょうね。
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