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AI時代の将棋中継の楽しみ方

某有名人が自身のYouTubeで「将棋の藤井聡太君はAIとずっと戦っているので、意味を考えないで統計的に勝つ確率の高い手を覚えて打っている」という趣旨のことを平然と話しているのを見ましたが、そんな飛んでもない誤解を信じる将棋ファンはいないと思いつつ、私たち観る将はAI時代の将棋中継をどのように楽しめば良いのかということを考えてみました。

AIが将棋界にもたらした革命

2012年に電王戦が始まった頃の将棋界にはまだ、人間とコンピュータはどちらが強いのかという議論があったのかもしれません。しかし現在の将棋界は既に、AIを戦う相手ではなく、活用すべき道具としてとらえる時代になっています。今やプロからアマチュアまで序盤研究や対局の振り返りにAIを活用し、AI発の囲いが升田幸三賞を受賞するまでになりました。かつては悪形とみなされていた形が見直されたり、昭和の時代に指されていた陣形が見直されたり、昔から使われてきた格言の中には死語になりつつあるものまであります。

観る将にとってのAI

AIは将棋を指す人のツールになっているだけではなく、将棋を観て楽しむ人にとっても頼もしいツールになっています。かつての将棋中継は、初心者にとっては形勢がわからず、解説者が「先手持ちです」と言えば先手が優勢なのかなと信じるしかありませんでした。現在の将棋中継では、形勢判断や次の手の候補手を画面に表示し、初心者でも視覚的に形勢を把握しながら観戦を楽しめるようになっています。しかしAIの示す数字や候補手を鵜呑みにすると、人間同士の対局だからこそ生じるドラマを見誤ってしまう可能性があります。私が日頃から将棋観戦をしながら理解してきたことを、一度整理しておきたいと思います。

AIの特徴

将棋を山登りに例える話があります。麓から頂上を目指すには無数のルートがあり、序盤はプロ同士であればどのルートを選んでもそれ程大きな差は生じません。トッププロや若手の精鋭たちは、ほんのわずかな近道をみつけて少しでもリードを奪えるよう日夜研究をしています。中終盤の難所に差し掛かると、もはや道標はありません。プロ棋士は深い読みと経験でルートを選択し、少しでも早く頂上にたどり着かなければなりません。AIは桁違いの計算力で先の先まで見えているので、どんなに危険でも最速のルートを示しますが、人間は途中で崩れてしまうかもしれない崖や、どこまで道が続いているかもわからない獣道を選択することはできません。

形勢判断

AIは冷徹に、自分も相手も最善の手を指し続ける前提で数字をはじき出しています。解説の先生方がよく口にするのは「AIは勝率を65%と示しているが、人間的に勝ちやすい」「AIは勝率を80%と示しているが、人間的にはまだまだどちらに転ぶかわからない」といった形勢判断です。つまり、比較的平易な道を着実に登っていくことで勝てそうな局面になれば人間的に勝ちやすい、危険な崖を踏み外さずに登らなければならない局面はどちらに転ぶかわからないということだと思います。人間が踏み外せば即負けになる危険なルートを避け、安全かつリードを保てそうなルートを選ぶのは自然なことですが、AIが数字を大きく下げて大逆転に見えることがあります。しかしそれを安易に悪手とか失着と評価してはいけません。数手前に劣勢の側が危険を承知で放った勝負手が、優勢の側に難しい判断を迫る好手だったと評価すべきケースが多いのです。

推奨手(予想手、候補手)

将棋中継では、AIが推奨する手(予想手、候補手)を3~5手示しています。1番の推奨手を指せば形勢は維持され、2番以下の推奨手を指した場合にどの程度形勢が悪化するかも示されています。序盤はどの手を指しても形勢はほとんど変わらないのですが、中終盤になってくると推奨手以外の手を指すと形勢が大きく変わるケースが出てきます。人間的に勝ちやすい局面ではどの手を指しても優勢を維持できますが、どちらに転ぶかわからない局面になると1番の推奨手以外の手を指すと大逆転になるケースが増えてきます。難解な局面になり、AI的には最善ではないかもしれないが人間である両対局者が最善と信じる手を指し続け、結果的に形勢が揺れ動く展開になると、我々はそれが大熱戦であることを視覚的に理解することができます。

AI的な手

人間の直観力はとても優れていて、AIが膨大な数の局面を計算して導き出す推奨手を、棋士の方々は一瞬の内に絞り込みます。しかしAIは棋士の方々が指し辛い手を推奨することがあります。①流れに反する手、②セオリーに反する手、③見つけづらい手、④危険に見える手などがあるようです。

①流れに反する手:棋士の方々は数手先まで読んで指しているわけですから、前の指し手を無駄にするような手が指しにくいのは当然です。前の指し手のミスに気付いて軌道修正することはあっても、それは自らの失敗を認めることになります。
②セオリーに反する手:棋士の方々がAIを研究する中で、従来は悪形とされていた形でも、実はそうでもない、あるいはむしろ好形であることがわかってきた形があります。多くの棋士が研究によりその手の意味を理解し、徐々に新しい形を取り入れています。
③見つけづらい手:限られた時間の中で最善手を選ばなければならない人間は、上述した通り直感的に絞り込んだ手を深堀りします。AIが絞り込まずに探した推奨手の中には、棋士の方々も示されれば納得する好手であることがあります。
④危険に見える手:前項に記したように、AIは危険を恐れず最短の勝ち筋を示してきます。人間、特に終盤に優勢を感じている側は、危険を冒して詰ませるより確実に詰めろを続ける方が勝つ確率が上がります。

人間は膨大な計算力を持つAIと同じ指し手を続けることはできません。しかし人間が限られた時間の中で、自分が最善と信じる手を指し続けることで生まれる物語は、一向に色褪せることはありません。我々観る将は、AIを参考に手に汗を握りながら観戦しますが、AIに振り回されないようにしなければならないと感じています。藤井聡太竜王が時々、③や④の手を指して我々を魅了しますが、それこそが藤井竜王の強さであり、極めて稀な例外なんだと思います。

まとめ

AI自体も発展途上ですし、AIを取り入れた研究方法も試行錯誤の段階だと思います。長々とした文章になってしまいましたが、本稿で私がお伝えしたかったのは、AIの形勢判断が必ずしも正しくはなく、AIの推奨手が必ずしも人間的な最善手ではないことです。観る側の我々はAIの示す形勢判断や推奨手を鵜吞みにせず、人間同士の戦いの中から生まれてくる指し手の心理面を含めた意味を想像し、創造性豊かな指し手に感動したいと思います。冒頭に記した某有名人のような誤解が、少しでも減ることを願っています。

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