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聞き取りづらさ(APD/LiD)の治療法がないなかで

APD(聴覚情報処理障害)、またはLiD(聞き取り困難)の症状や当事者の存在が、国内でもようやく知られるようになってきました。

音として聞こえてはいるのに、騒がしい場所や複数人の会話などでは言葉を理解するのが困難になってしまう。治療法が確立されていないだけでなく、身体障害者手帳を取得することができず、そのため補聴機器などの利用に際して補助金制度も申請できないのが実情です(補聴器機の利用に一定の効果を得られる場合があります)。

そのうえ、まだまだ社会的に広く知られているわけでもないため、学校や職場などで理解されず、聞き取れないことによるすれ違いやミスから、当事者が悪い・おかしいのだと非難されてしまうことも少なくありません。

2016年に施行された、「障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」では、障害を持つ人への合理的配慮が求められるようになりました。ですが、現状ではAPD/LiDの人に対してどのような配慮をすればいいのか分からない人も多いのではないでしょうか。

ではいま、当事者はどんな状況に置かれていて、どんなことを必要としているのか。フリーライターとして活躍する五十嵐大さんが、当事者だけでなく支援者や研究者にも話を聞き、記録した書籍が『隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録』です。

今回は本書から、APDが原因でお客さんから会話ができない「感じの悪い美容師」だと思われてしまった方のエピソードなどが語られる「第2章 治療法がないなかで」の冒頭を抜粋して紹介します。少しでもAPD/LiDの当事者の置かれた状況を知っていただければ幸いです。

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◆著者について
五十嵐大(いがらし・だい)

1983年、宮城県出身。元ヤクザの祖父、宗教信者の祖母、耳の聴こえない両親のもとで育つ。高校卒業後上京し、ライター業界へ。2015年よりフリーライターとして活躍。著書に、家族との複雑な関係を描いたエッセイ『しくじり家族』(CCCメディアハウス)、コーダとしての体験を綴った『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)など。2022年、『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)で小説家デビュー。Twitter:@daigarashi

感じの悪い美容師

APDについてちゃんと理解したいと思ったぼくは、取材を続けた数カ月の間に何人もの当事者にお会いした。連日のように当事者と話す機会があったが、どの人も複雑な悩みを抱えていた。当然ながら、一人ひとりに物語があるのだ。

それは春の陽気で暖かな日だった。その日ぼくは、錦糸町公園を訪れていた。APD当事者の北川さん(仮名)と会うためだ。

「公園のようにひらけた場所だと、お話も聞き取りやすいかもしれません」

なるほど。たしかに室内とは異なり、音が反響する心配はない。一方で、人が行き交う足音や笑い声など、どの程度の雑音があるのか不安でもあった。

待ち合わせ場所に着くと、品の良さを感じさせるワンピースに身を包んだ女性が立っていた。北川さんだ。名刺を渡し、挨拶を済ませると、ぼくは錦糸町公園の入り口に立ち、園内を見渡した。その日は平日にもかかわらず、想定していたよりも遥かに大勢の人で賑わっていた。ちょうど桜が咲きはじめた頃だったこともあり、ビニールシートを敷いて花見に興じる人たちもいる。

なるべく中心部を避け、端のほうにあるベンチに並んで腰掛けた。

「あまりにもうるさいようでしたら、場所を変えましょう」
「ありがとうございます。多分、大丈夫だと思います。もしも何度か聞き返してしまったら、すみません」

少し緊張しているような北川さんを相手に、ぼくはゆっくり話を進めていった。

「聞き取りにくさを自覚したのは、小学生くらいの頃でした。実家が自営業をしていたのですが、たまに留守番をさせられていて。あるとき、銀行から振込を催促する電話がかかってきたんです。でも出てみても、電話口の向こうでなにを言っているのかがまったくわかりませんでした。せっかく親の手伝いができると思ったのに、聞き取れない。電話がわからなかった、と父に謝ったことを覚えています」

音や言葉自体は耳に入っているから、聴力に問題があったわけではない。ただし、内容が聞き取れない。そう感じる瞬間は徐々に増えていった。

学校生活でも友人たちの話がわからなかった。でも、当時はそこまで困らなかったという。

「話の内容が理解できなくても、聞き返すことはしませんでした。基本的には笑って誤魔化すんです。なにを言っているのかわからないけれど、みんな笑ってるし、ここは合わせておこうって。それで済んでいましたね。授業中も先生の言葉は聞き取れなかったけれど、板書を見ていればなんとなくは理解できるので、それでしのいでいました」

幼少期のことを振り返りながら話す北川さんは、なんだか穏やかな表情を浮かべていた。もしかすると、そこまで嫌な思い出があるわけではないのかもしれない。

しかし、「聞き取れないことが明確に問題の種になったのは、いつからですか?」と質問すると、北川さんの顔に影が差した。苦しみを絞り出すように、ぽつりぽつりと話し出す。

「仕事をはじめてから、なんです。高校卒業後、美容師として働き出しました。美容室ってドライヤーの音とか水の音とか、とにかく騒がしいんです。そんな状況で、お客さんとの会話も盛り上げなければいけない。でも、それができませんでした。何度か来てくれたお客さんから『前にも話したのに、覚えてないの?』と言われることが増えてしまって。どんな会話をしたのかはカルテに書き込むようになっていたんですが、そもそもなにも聞き取れていないから記録することさえできませんでした」

曖昧に誤魔化して済ませていた学生時代とは異なり、それができなくなってしまった。結果、北川さんは、お客さんからの信用を失ってしまう。

「年配のお客さんが多い美容室だったので、みなさんお喋り好きだったんです。でも、『あなたとは話したくないわ』と言われてしまいました。どんな会話をしたのかも覚えていない、その場の会話も弾まない。そんなわたしは、感じの悪い美容師として映っていたんだと思います」

同僚には相談しなかった。

けれどそこでようやく、耳鼻科に相談してみることを決意する。ただし、検査結果は「問題なし」。ストレスによるものではないか、と診断され、ビタミン剤を出されるに留まった。北川さんは現在、四十代後半なので、それはいまから二十年ほど前の話。もちろん、APDというものがまだ知られていない頃だ。

「誰が話しているのか」もわからない

その後、結婚した北川さんは転職をし、二人目のお子さんが生まれるまでは工場に勤めた。二人目を出産した後、飲食業界を経て、現在は聞き取りにくさに配慮してくれているところで働けているという。

でも、そこに至るまでは苦悩の連続だった。

「飲食業界に入った頃です。その店はすごく騒がしかった挙げ句、わたしはガチャガチャ食器音が響くポジションに配置されてしまって。すると指示されてもなにも聞き取れなくなってしまうんです。やがてわたしは『こいつ、使えない』と言われ、頭のおかしい人扱いされるようになりました」

北川さんが苦手とするのは食器音や水音、軽快な音楽など、どれも日常生活のなかでよく耳にする音ばかりだ。その他、複数人での会話もうまく聞き取れないため、渋谷や新宿などの繁華街を歩いていると、誰ともコミュニケーションが取れなくなってしまう。

カクテルパーティー効果の話を振ると、「わたしにはその能力が備わっていないんだと思います」とうつむく。それでもこれまでは視覚に頼ることでなんとかしてきた。話の内容がわからなくとも、口の動きによって「誰が話しているのか」だけは判別できる。それがこのコロナ禍によってマスクをつけることが当たり前になり、口の動きを把握できなくなってしまった。ゆえに、誤解されることも増えていった。

「マスクをつけられてしまうと、どの人が話しているのかうまく判断できなくて。下手すると、わたしに対して話しているのかさえもわからないんです。結果的に、わたしが相手を無視している構図になってしまう。すると、やっぱり感じの悪い人だと思われてしまうんです。本当はただ聞き取れていないだけなのに……」

北川さんは目元をそっと拭った。泣いていた。

ずっと孤独だった。周囲の人たちにわかってもらえないことで、ひとりぼっちにさせられてしまうことが続いた。でも、仕方ないとも思っていた。自分自身でも聞き取れなさの原因がわからないのだ。それを他者に理解してもらえるように説明できるわけがない。

しかし、そんな北川さんが自分自身を知るときがやって来る。

「社会人になってから、何度か耳鼻科に通いました。検査では聴力に問題がないと言われてしまうけれど、なにか異常があるんじゃないかと思っていたんです。でもその都度、『異常なし』と言われることの繰り返しで。転機となったのは二〇二〇年の暮れあたりです。ある日、ひどい目め眩ま いに襲われて立ち上がれなくなってしまいました。調べてみると、耳鼻科で診てもらう必要があるとのこと。わたしはあらためて耳鼻科に向かいました。診断結果は良性突発性頭位めまい症。横になっていればすぐに治まりますと言われました。その際、念のために聴力検査も受けたのですが、やはり問題はなくて。でもそんなわけがないだろうと思い、聞き取れなさについて懸命に調べてみたんです」

ようやくそこでAPDという言葉を知った。APDに関する本を読み、当事者会が開催されていることを知った北川さんは、勇気を出して参加してみることにした。

そこにいたのは、同じ悩みを共有できる仲間たちだ。

「都内で行われた交流会に足を運びました。職場での会話が聞き取れなくて困った経験を話したら、共感してくれる人が大勢いて、『自分だけじゃないんだ。わかってくれる人がこんなにいるんだ』と感動したんです」

その後、平野さんのクリニックでAPDであると診断された。当時の気持ちを尋ねると、北川さんは長いトンネルを抜け出したような清々しい顔を見せる。

「ずっと自分の正体がよくわからないものでしたけど、APDだと判明してホッとしました。これでようやく前に進める、と思ったんです」

いまの北川さんは、悩んでいないという。

「APDなんだから、聞き取れなくて当たり前。それを無理やり矯正して、他の人と同じになろうとしなくたっていいんだって思えて。そうじゃなくて、APDであることを認めた上でできる工夫をしていけばいいんですよね」

現在は聞き取りをサポートする文字起こしアプリを活用し、会話内容は視覚情報で補完するようにしている。原因がわかったおかげなのか、以前よりもはっきり「自分は聞き取りに困難がある」と主張できるようにもなった。すると、繰り返し説明してもらえたり、ゆっくり話そうと努めたりする人も現れた。

一方で、合理的配慮が行き届いていないことに対して、落胆する場面も少なくない。

「APDを理解してもらいたいと思うのは当然ですが、それだけで終わらせてほしくもないんです。たとえば最近、音声をリアルタイムでテキスト化し、それを表示させるアクリル板が話題になっていますよね ? ああいった設備が至る場所に当たり前に設置されている世のなかになってほしい。でも、現状はまだまだ浸透していません。なかには『筆談で対応します』と提示している場所もあるけれど、実際には面倒そうな顔をされることも少なくない。聞き取りにくさを抱える人たちへの配慮がもっとふつうになったらいいな、と思います」

利用できない補助金

二〇一三年六月、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律――いわゆる「障害者差別解消法」が制定され、二〇一六年四月一日から施行された。この法律によって「不当な差別的取扱い」が禁止され、また「合理的配慮」の提供も社会に対して求められるようになった。

合理的配慮とはなにか。「障害者権利条約」では次のように述べられている。

「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう

「障害者の権利に関する条約」第二条

二〇二一年五月時点での障害者差別解消法では、国や自治体に対してと、民間企業や事業者に対してとでは、合理的配慮の位置づけが微妙に異なっていた。国や自治体に対しては「法的義務」とされていたものの、民間企業や事業者には「努力義務」とされていたのだ。けれど二〇二一年の第二〇四回通常国会において、障害者差別解消法の改正が成立。これにより民間企業や事業者においても合理的配慮が「法的義務化」されることになり、公布より三年以内に施行される 。

合理的配慮が法的に義務化されれば、APD当事者の生きづらさも軽減されるに違いない。ただし、そもそも彼らに対してどのような配慮が必要なのだろうか。APDというもの自体がまだまだ理解されていないのだから、彼らにどう配慮すればいいのかわからないという民間企業や事業者が増えることは想像に難くない。

そんなときに参考にしたいものがある。イギリス国内のAPD当事者についてまとめているサイト「APD Support UK」内にある、「雇用主のためのAPDガイド」だ。そこにはAPD当事者にどのような配慮をすべきかが記載されている。

その一部を例に挙げてみる。

  • 聴力補助装置を用意する(レコーダー、音声読み上げソフトなど)

  • バックグラウンドノイズを最小限にするアイテムを用意する(カーペットやラグ、ノイズキャンセリングイヤホンなど)

  • 感覚的な過負荷や疲労を避けるため、休憩を挟んで短時間の会議を行う

  • 会議前には報告書を作成する

  • ビデオ会議では、必要な機器やサポートを提供する(字幕、ノートテイカー、印刷済みの資料など)

  • 電話の代わりにテキストや電子メールで連絡を取る

  • 話し方を理解しやすい従業員とともに働いてもらう

  • (対面コミュニケーションが避けられない場合)口の動きが見えるよう、向き合って話す

これらはごく一部で、イギリスではAPD当事者に対して、非常に細やかな配慮が考えられているようだ。しかしながら日本では、まだここまで考えられているとは言えないだろう。

ちなみに現状、APD当事者は「身体障害者手帳」を取得することができない。それによるデメリットのひとつが補聴器の補助金制度(補装具費支給制度)を申請できないことだ。

本来、身体障害者手帳があれば、自治体の福祉事務所や役場などで申請することで、補聴器を購入する際の補助金を利用することができる。支給許可が下りると、原則として一割の自己負担額にて補聴器を購入可能になる。しかし、APD当事者の場合、それが叶わない。

補聴器と聞くと、ろう者や難聴者のためのものと思いがちだ。しかし、ノイズキャンセリング機能などを活用することで、APD当事者にも一定の効果が期待でき、実際に使用している当事者も少なくない。もちろん、APD当事者の症状によって補聴器が効果的か否かはわかれる。ただし効果がある場合でもそれを購入するためにはハードルが高いのが現状だ。

北川さんは次のように言う。

「一度、補聴器を試してみたことがあります。ノイズを抑えたり、聞き取りの方向性を調整したりできるので、すごく効果的だと感じました。でも、そのモデルはすごく高くて。とてもじゃないけれど、補助金制度がなければ購入できません」

いま世界は、誰一人取り残さない社会の実現に向かって動き出している。そのとき必要なのは、さまざまなマイノリティに対し、適切なサポートを用意することだ。でも、APDについてはまだ、どんなサポートが必要なのかすら知られていない段階なのだ。


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