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賢人たちとの同居生活

「(電子書籍ではなく)紙の書籍を買うのは贅沢」という価値観が存在すると聞いて驚いたことがある。

「紙の書籍は保管に場所を取るので、広い部屋を借りる経済的余裕のある人しか買えない。狭い部屋にしか住めない人は、スペースを取らない電子書籍しか買わない」という理屈らしい。マジか。

まぁ、半分冗談だとは思うけれども、一理あると思う。

僕の場合は紙の書籍派なのだけれども、住んでいる部屋は狭い。だから、ときどき「本棚さえなければ、部屋にソファーを置けるのになぁ」と思ったりする。

特に、買ったけれども読んでいない、いわゆる「積読本」がメチャクチャ邪魔だ。

「読み終わった本は本棚へ。積読本はいつでも手に取れるようにデスクの上へ」というルールで運用しているのだけれども、買った書籍の半分近くは積読されるので、すぐにデスクの上に書籍の山ができてしまう。

在宅でパソコン作業をしている時、視界の端で、常に積読の山がグラグラ揺れている。そのおかげで、在宅勤務になってから”貧乏ゆすり”をすることがなくなった。なんというか、本の存在感、圧がすごい。

「ただ一緒にいるだけ」の時間がなくなってしまった

来週から、社内の編集者を週に1回集めて、オンラインで「雑談会」を実施することになった。目的は、社員同士のコミュニケーション活性化らしい。
最初の緊急事態宣言が発令されて以降、弊社では基本的にフルリモート体制が維持されている。

そうなると、以前であれば給湯室や喫煙所などで交わされていた、ちょっとした雑談や、情報交換などの機会がなくなる。社員同士の関係性が希薄になる。なので、その分を「オンライン雑談会」で埋め合わせしようという趣旨らしい。

「大切なことだよなぁ」と思う。でも一方で、「それだけじゃ埋められない部分がたくさんあるよなぁ」とも思う。

コロナ以降、多くの人が実感したと思うのだけれども、人と人の関係性は、言葉以外のものに大きく依存している。どれだけ「情報」としての言葉を交わしても、人間同士の距離は簡単には縮まらない。

よくある話だけれども、恋人と長続きするコツは、「話をしていて楽しい人」を選ぶのではなく、「沈黙が苦痛じゃない人」を選ぶことだと言われることがある。

よく考えてみれば当たり前だ。たいていの人は24時間のうち、何かを喋っている時間よりも、黙っている時間の方がずっと長い。誰かと言葉を交わしている時間なんて、1日のなかの、ほんの一部だ。いくら会話が楽しい相手でも、残り大半の時間が気まずいのであれば、ずっと一緒に居られるはずがない。人間関係において、「会話」はそこまで重要じゃないのだ。

なんなら、むしろ会話をしない方が良い関係を築けることもある。たとえば落ち込んでいる時には、あれこれ口に出してアドバイスしてくる人よりも、何も言わず、ただ黙って隣に座っていてくれる人の方がありがたかったりする。

隣にいる友人から感じられる、あたたかな気配。やわらかな存在感。下手に会話をするより、そうした時間を共有する方が、何倍もその人に分かってもらえた気持ちになる。

ただ、一緒にいること。僕たちは言葉以上に、一緒にいること、「存在」を交わし合うことで、お互いを理解し、関係をより確かなものにしている。
一方で、オンライン会議ツールは基本的に「会話」をするためのツールだ。そこでは、「情報」を受け取ることはできても、「存在」を感じることはできない。

残業中、特に何かを話すわけでなくとも、隣で黙々と仕事をこなす先輩や同僚に、不思議と親近感や仲間意識を抱いた経験がある人は多いと思う。

オンラインコミュニケーションが中心となり、関係性が希薄になった世界に必要なのは、こうした時間、言葉をかわさず、ただただ「存在」を感じ合うだけの時間、「ただ一緒にいるだけの時間」を取り戻すための工夫なんじゃないだろうか。

賢人たちと一緒に暮らそう

紙の書籍は、保管に場所をとる。それなのに、書籍は読んでいる時間よりも、本棚に収められている時間、机の上に積まれている時間の方が圧倒的に長い。

そういった意味では、必要な時だけ立ち上げることができる電子書籍の方がスぺースを取らないぶん、たしかに優れているかもしれない。

でもそれは、オンライン会議ツール上での「会話」が、「言葉以外」のコミュニケーションを取りこぼしてしまっているように、書籍から得られる「情報」以外の効能を取りこぼしてしまうような気がする。

哲学者のデカルトは読書について、「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話を交わすようなものである」と言っていたらしい。

その言葉を借りると、「書籍のある部屋に住むことは、賢人達と一緒に暮らすようなものである」と言えるんじゃないだろうか。

視界の端にチラッと映り込む背表紙や、グラグラ揺れている積読の山。その気配や存在感は、隣で黙々と仕事をする同僚の姿が「僕も頑張ろう」というエネルギーをくれるように、思考のヒントや、考える力をくれている気がしないだろうか。

高校生の頃、図書館で勉強すると自習が捗るように感じたのは、たぶん同じ理由なんだと思う。

書籍は、ただそこにあるだけで価値がある。積読するだけで意味がある。

だから僕は、狭い部屋に住んでいても紙の書籍派を貫いている。「そこにあるだけで意味があるので」と、積読をしている自分に言い訳をしながら。

(編集部:オオヌマ)

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