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非常時に福祉という考えは吹っ飛ぶか?

うっきうきと心浮き立つ春にすみません。今回ちょっと暗い……話題です。

このコラムを書くタイミングで起きている世の中の状況から個人的に思い巡らしたことを書きました。

平和が奪われたとき、取り残される人たち

コラムを書いている今このとき、日本から遠く離れた国で、平和な日常が突然奪われていく様を目撃しています。繰り返される衝撃的な映像を見て胸を痛めつつも、私は別のことを考えていました。

ウクライナで起きている悲惨なニュース、メディアで多く取り上げられるのは、母親と子どもが身を寄せ合って他国に避難する様子です。でも私はその影に隠れた、さらに弱者といわれる人たちのことが気になります。

避難している映像はほとんどが母親と子どもたち。でも……障害児・者や孤児、身寄りのない高齢者、医療的ケアが必要な人たちはどうしているんだろう。ちゃんと避難できているんだろうか。誰か手助けをしているんだろうか。

ひとつの答えといいますか、近いかもと思われるものを見つけました。

日本障害者協議会代表で、ご自身も視覚障害のある藤井克徳さんが、その彼の国の同胞に向けて作られたという詩がありましたので、勝手ながら、以下に引用させていただきます。

この詩は日本障害者協議会のホームページで公開されています。日本語、ウクライナ語、ロシア語、英語版があります。

連帯と祈り
ウクライナの障害のある 同胞(はらから)へ
戦争は、障害者を邪魔ものにする
戦争は、障害者を置き去りにする
戦争は、優生思想をかきたてる
大量の障害者をつくり出す最大の悪、それが戦争

朝一番のニュースを恐る恐る
キエフの包囲網がまた狭まった
教会も文化財も悲鳴を上げて崩れ落ちる
禁じ手が反古(ほご)にされ原子力発電所から火の手

殺し合いでなく話し合いを
侵攻でなく停戦を
停戦でなく平和を
青い空と黄色の豊作に似合うのは平和

私たちは祈ります
西北西の方角をじっとみつめながら
心の中から希望が切り離されないように
とにかく生き延びてほしい

戦争は、障害をたちどころに重くする
戦争は、障害者の尊厳を軽々と奪い去る
戦争は、障害者の明日を真っ黒に塗りたくる
早いうちに、否、この瞬間に終わらせなければ

もう一度くり返す
とにかく生き延びてほしい
たとえ、食べ物を盗んでも
たとえ、敵兵に救いを乞うてでも

遠い遠い、でも魂はすぐ傍(そば)の日本より

ふじいかつのり(NPO法人日本障害者協議会)

この詩の中にある「障害者」は、「孤児」や「身寄りのない高齢者」「日常的に医療的ケアが必要な人」などにも言い換えることができるでしょう。

平時での「弱者」に加えて、ほとんどの国民が「弱者」となっているかのような彼の地での現状。そうした状態では「福祉」という概念の存在は難しいだろうな、この詩が当事者の心情に近いものではと思いました。

「とにかく生き延びてほしい」この一言に尽きるんだと思います。

そして、私は、平時に彼らをサポートをしていた人たちのことも気になります。

専門職の人であっても、ここまでの非常時、自身や家族の身の安全や、明日をも知れぬ中で、人のことを思いやれるんだろうか。

仕事ができないとしても、誰もそれを責められない。でも、支援の手を止めたことは、彼らのトラウマになるかもしれない。

人の支援をライフワークにしている人達がいる!

私が福祉のテーマを扱うようになってから、特に専門職の方向けの本を作るようになって、当事者だけでなく、支援する側のことも考えるようになりました。

ふだんテレビで──NHKばかりですが──困っている人たちにフォーカスがあたる特集などを見る機会が増えましたが、私はそうした番組を見ながら支援側のことも考えます。

というのも、福祉関連の仕事をされている方の中には、本当に、もう「なんだかすごい」としかいいようのない方々がいらっしゃいます。これまで本を作ってきた際に、いろいろな方のお話を伺ってきました。

中には、支援が行き過ぎて(←この表現は私の印象です)、ご自身の生活に支障が出ているとしか思えない方もいらっしゃいました。対価をいただける「仕事」の枠を越えて、ご自身の時間やお金を沢山費やして、他人のために尽くしておられる人達がいるんです。

著名な方がたまーにそういった活動をされると華々しく報道されますが、そうした話とはわけが違います。ライフワークだから? 特に活動が注目され賞賛されるわけでもないし、SNSなどでそうしたアピールもやっておられない(とお見受けします)。

なのに、世の中の片隅で、粛々と人の支援を続けている方々がいる。私の数少ない取材経験でそう感じるのですから、実際にはそうした方々は沢山いらっしゃるのでしょう。

彼らは困っている方から常に頼られる側です。ですが、人のサポートをしている方々は、どのようなモチベーションでそうした仕事を続けているのか。サポート側の彼らが困ったり悩んだりしたとき、彼らを支援してくれる人や場所はあるのか。そんなことをずっと思っていました。

そして、彼の国のような非常事態。仮にどうしようもなくサポートを続けられなくなったとき、支援をライフワークにしてきた人はどう思うのか……。中にはなんとか支援を続けられた人もいて、時が過ぎてから、そうした人と自分を比べて傷ついたりしないのか。

答えの出ない問いを巡らせることが多いです。

非常時なんて想像できない

さて、いきなりミクロな話になりますが、弊社では今年1月に『これならわかる〈スッキリ図解〉介護BCP(業務継続計画)』を刊行しました。

この本は、前回のnote記事でもご紹介しました。たとえ大規模災害などが起きても、できるだけ事業(介護サービスの提供)が続けられるよう事前に計画書を準備しておくべしということで、この計画書をBCP(Business Continuity Plan)と呼びます。介護業界ではこのBCP策定が義務化されたため、本書はその策定について解説したものです。

要介護状態の高齢者にとって介護サービスはライフラインともいえるもので、こうした計画書の重要性はもちろん理解できます。ただ、今の彼の地の様子を見ると、想定外以上のことが起きたとき、自分や家族以外のライフラインの維持をどこまで続けることができるのか、誰に何をどこまで求めるのか、いろいろ考えさせられます。

本当に真の非常時。幸運なことに、私はまだ体験したことがありません。自分がどう考えてどう動くかまったく想像できません……。

福祉。この言葉の意味は「しあわせ」です。その状態を安定させることです。

でも福祉という概念は、平和な世界ではじめて成り立つ、なんて当たり前のことを改めて強く感じている今日この頃です。

以上、最近キマジメに考えている小澤でございました。

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