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【短篇小説】日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、

 

 日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、しかし、だからといってだれかと話したいと言うようなこともなくて、たぶんぼくはこのままゆっくりと鈍くなってしまいたいのだろうけど、結局月曜の朝の満員電車の中ではふつうにイラついてしまうので、まあなんというか、イズムと行動というのは往々にして結びつかない。そんなとりとめもないことばかり考えているのは、明らかに昨日の夜の酒が頭の中に残っているからで、しかも三時間も寝ていないので、全てが薄ぼんやりとしてしまっていて、そういう時言葉だけが迂闊にすべる。

 ぼくののっている山手線は今ちょうど、巣鴨と大塚の間を走っているところで、ぼくはその景色をこの前、下高井戸シネマで観た『春原さんのうた』という映画の中で観た、カットが変わってすぐに景色が映った瞬間、すぐに気がついた、友人たちはそろってそういうぼくの風景をすぐに覚える資質を褒めるのだが、本人としては、悪い気はしないが、そういう資質が何か、じぶんの奥底にある、恐怖感というか渇望みたいなものと関わっているような気がして、少しばかり居心地が悪い、かといって別に今日明日で解決したいわけでもないし、何より景色を覚えているというのはどこかに行きたいときけっこう便利なのだ。そもそも、褒め言葉はそのまま受け取っておけ、とも思うし、そうやっていちいち外界からの刺戟をそういう内省の道具に使うべきではないだろう、たぶん目の前で起こることはそれ以上でもないし、それ以下でもないはずだ。

 頭がどんどんぼんやりしてきて、たぶん何度か寝落ちした。吊り革がなかったら、たぶん崩れ落ちていた。しかし、ふっと意識が途切れても握っている手は変わらずなので、そこに驚く。大塚駅を過ぎていて、もう池袋につくころだ。しかし、ここの駅間は思っているよりも長いので、たぶん、体感より少し遅くつく、いや、そもそも体感で言ったらもうとっくに大学に着いているはずで、もうちょっと体調が良ければ体感通りに大学につく。だからこのずれを図るのは体調のバロメーターとしてちょうどよい。そういえば喘息持ちの吉行淳之介は、タバコを吸うことでその日の体調を測っていたという。

 それからぼくは池袋駅で降りる人の中にぼく自身を見つける、降り返った自分と目があったと思ったら、次の瞬間にはもう西武線の方に歩いていて、昼は何を食べようかと考えている。

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