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タバコを吸っていなければもっとつまらない人生になっていたのだろう(続・絶煙して六年経って思うこと)

けれど、いまだにちょっとしたことで、離脱症状の続きのようなものに苦しむ状態になってしまっているとはいえ、大学生になってからタバコを吸うようになっていなかったら、自分の人生はけっこう違うものになっていたんだろうなと思う。

俺は多分生まれつき低心拍なのだろうけれど、タバコを吸うようになってから、それまでよりもあきらかに活動的になったし、多少は明るくなったのだと思う。

タバコを吸っていなかったなら、きっと俺は、今よりもはるかに、自分をその他大勢のうちの一人だと思いながら生きることになったのだと思う。

タバコを吸うようになるまで、俺は気分の上下がはっきりしていたというか、基本うっすらとした抑うつ感に包まれて黙りがちになっていて、誰かと喋り始めたり、楽しいことをするなると、そこから急に気分が上がってはしゃいでいるような感じになって、そうなったときには人並みよりちょっとおしゃべりになるという感じで生きていたのだと思う。

タバコを吸うようになって、俺の人生は、タバコを吸うたびになんとなく気分がよくなる人生に変わった。

俺がタバコを吸い始めたのは、都市部の普通の電車やバスでは吸えなくなっていたけれど、大学では各教室のドアを出たところに灰皿が設置されているくらいの時期だった。

いつでもタバコの効果が切れるたびに気軽に吸っていたし、俺はそれまでの人生を、楽しくなってきたときしかいい気分ではなくて、それ以外は、なんとなく黙っていたり、なんとなく人に近付くのを遠慮して大人しくしてしまうような気分で過ごしていたのに、タバコを吸うようになってからは、基本的になんとなくいい気分がうっすらあったうえで、明確に気を重くさせることを意識しているときだけ気持ちが沈んでくる人間として過ごすようになったのだ。

タバコだけのせいではないにしても、タバコを吸いながらなんとなくいい気分で一緒にタバコを吸っている人たちと喋る時間を一日のうちに何度も繰り返せるようになったことは、俺の何もかもを激変させたのだと思う。

みんなと一緒にいるときの基本の気分が変わったのだし、他人全般への基本的な顔の向け方や喋りかけられ方も変化していったのだろう。

俺の何が変わったわけではないし、俺はそのあとも、気分が落ちがちだったし、気分の落ち方が他人に不快感を与える感じなままだったし、さほど相性がよくない人とは友達っぽい距離感で接することができないままだったし、そこからもまだ半年以上童貞のままだった。

それでも、俺はタバコを吸ってなんとなくいい気分でいられるようになったことで、思っていることを黙っている顔ではなく、思っていることを思ったままにした顔を人に見せて生きるようになったのだと思う。

思っていることを黙っている顔をしていると、自分が思っていることを生きられていない気分になるし、それによって、自分が何を思っていても、誰にとっても何の意味もないような気分になる。

自分は単なるその他大勢の一人でしかないような気分で生きているとはそういうことなのだ。

俺は自分のしたい顔をしていられるようになったことで、そういう顔をして話しかけて気持ちを相手に押し付けた責任を取れるようにと、相手の反応をちゃんと確かめて、それに働きかけられるようにという意識が徐々に芽生えていったのだと思う。

それまでの俺は、もっと空っぽに、ただやると楽しいことをして楽しくなったり、言うと楽しいことを言って楽しくなったりするだけで、ほとんど自分の頭の中を生きているだけで、他人を生きていなかったし、世界に興味を持とうともしていなかった。

俺が自分の頭の中から出て、世界に触れようとし始めるためには、自分の肉体的な特性としての抑うつ感をどうにかする必要があって、そんなつもりもないまま、つまらないなと思って吸ってみたタバコが、俺にはそんなふうに効いたということで、本当に、人間というのは、とことんまでその人の肉体でしかないものなんだなと思う。

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何の不幸も屈辱も感じていなかったから自覚していなかったけれど、タバコを吸う以前の、高校生までの俺は、なんとなくつまらない気分にずっと包まれて生きていたんだろうなと思う。

ゲームできるのなら延々とゲームしていたし、勉強するときは、増進会の教材をやるとき以外、ほぼ確実に音楽を聞きながらやっていた。

それは明白に、何かしらの気分が良くなる刺激に常に触れていたかったということなのだろう。

学校に行って、面白いみんなにげらげら笑わせてもらう以外には、そういう刺激ばかり求めて、自分の現状のこととか、自分の未来のことを全然まともに考えていない中学生高校生だったのだと思う。

未来のことを考えていなさは、今から思うと恐ろしいくらいで、ちょっとでも自分の未来のことを考えていたら、東京の大学を受ける前に学校を見て回っただろうし、そこまでしなくても、もうちょっと調べたり考えたり教師に相談したりしていただけで、上智の公募推薦なんて受けなかったのだと思う。

実際、入試を受けに行って大学内を歩いた時点で、ちょっと間違ったっぽいなと思っていたし、入学してからも、どういうひとたちが上智大生なのか知っていって、一年の前期には、本当に自分は何も考えていなかったんだなと自分でびっくりしていたのだ。

彼女も欲しがらず、街遊びをしようともせず、ゲームだけしていれば満足できていたわけだし、俺はもともとあまり知的好奇心みたいなものがない方ではあったのだろう。

映画を観たら、人間とか社会についていろいろ考えさせられて、それを面白いと思えるのがわかっていても、いろいろ映画を見ようとしなかったし、そういう系の知的な刺激を受けられる本もまったく自分から読もうとしていなかった。

時間があればだらだらとゲームして、それが受験勉強に変わっても、ずっと音楽を聞いているからさほど苦痛にも思わなくて、自分のこととか、自分が世界や人間に何をどう感じているのかということにまともに興味を持たないまま、とりあえず大学に入って実家を出てから好き勝手しようとだけ思って、だらだらと音楽を聞きながら勉強して、試験を受けたあとは、推薦で決まるならここまで勉強しなくてよかったなと思いながら、まただらだらゲームをしていたのだ。

大学生になってからタバコを吸い始めるまではどうだったのだろうと思う。

それまでの中高一貫男子校から環境が激変して、多少は自分は何をどうしたいんだろうと考えるようになったのだとは思う。

かといって、同級生とつるんでいられる時間が長かったし、頻繁に飲みに行ったり遊んだりできていたし、学生寮にいてにぎやかだったから、まともに退屈することもできないまま、多少は人間関係に心を揺さぶられながらも、暇があったら音楽を聞きながら授業の勉強なんかを漫然とやっていたのだろう。

我ながら情けないけれど、せっかく大学生になっても、いろんなことをなあなあにして自分のことにかまけてしまうようなモチベーションは生まれていないままだったのだと思う。

実際、友達と一緒にいても、自分はそんなに面白いやつとしてみんなの輪の中に入られているわけでもないなと思っていたし、思春期以降初めて女の人と喋ったりするようになって、自分がどう思われているのかよくわからなかったり、かといって、どう思われたいのか自分でもわからないしで、自分が自分のしたいようにできていないままみんなの中に埋没していっているような閉塞感を感じていた。

夏前には、ひとりのときは、授業前なんかでも、気分が落ちてしまっているからと音楽を聞いたりしていた。

もしかすると、タバコを吸う直前の、大学一年の前期の終わり頃の俺が、俺の人生で一番暗そうだったり、おとなしかったりしたのだろうなと思う。

タバコを吸い始めたのだって、夏休みの前半はいろいろやることがあったけれど、後半は退屈でつまらなくて、ナインインチネイルズの新作を買いに行ったら、日にちを間違えていて入手できなくて、つまらなさ過ぎるから適当に電車に乗って海を見に行って、宿に泊まるほどでもないから、ファミレスで朝まで過ごそう思ったら、やることがなさすぎて、つまらなくて仕方なかったから、タバコを吸ってみた感じだったのだ。

もしかすると、あの日が俺の人生で一番つまらない日だったのかもしれない。

そして、タバコを吸って、当然その日は気分が悪くなったけれど、気分が悪いなりになんだか元気は出ていて、そこからだんだんと、俺の人生は変わっていった。

本当に、俺にとって、タバコとはそういうものだったのだ。

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