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なんのために書くのか?/ゲームシナリオカフェ

10杯目:なんのために書くのか?

 わたしがゲーム業界を目指したときの話をしようと思います。

 小学校、低学年の頃。ある先生に、「私なんかに懐いて、どういうつもり?」と、言われたのを覚えています。

 学校の先生に、気に入ってもらおうと思っていました。気に入ってもらえたからといって、その人のおうちの子になれるとか、違う場所に暮らせるわけがないというのを、たぶんわかっていなかったのでしょう。先生が迷惑してるのだとなんとなくわかって、距離を置くようになりました。

 高学年になったとき。別の先生が、ゲームウォッチやボードゲームを持ってきても良いと言いました。授業中は触ってはいけないけれど、休み時間は遊んでもいいというルールです。おかげで、「知恵で戦えるゲームという場」が、学校にひとつ、現れることになったのです。

 ゲームは人数が揃わないと遊べないものもあるので、数合わせには呼ばれるときもありました。休み時間の、ほんの十分ほどのことであっても。それは貴重な時間でした。

 中学、高校、大学と進み、就職活動にはいったころ。就職氷河期がはじまっていました。

 「大学まで出してやったのに」とか、「人間として欠陥があるのだ」とか。もっと良くない言葉を、自分に言われるものだけでなく、繰り返し耳にするようになりました。

 女性の中には、結婚を進路としてあげる人もいました。わたしは顔と体に傷が残っているので、そうした選択肢とも無縁と考えていました。

 好きなことをやろうと思いました。
 ゲームのことを考えていました。

 わたしがゲームを好きなのは。
 経済的にたいへんだったり、容姿がよくなかったり、大人に疎ましく思われたり……そんな、自分ではどうすることも出来なかった「現実のステータス」を、ひとつも引き継ぐことなく。この頭脳と、時の運だけで、戦えるからです。ゲームの前に、わたしたちは平等で、対等の遊び仲間でした。

 自分の居場所が、なくなっても。
 誰ひとり味方が、見つからなくても。
 自分が、あなたが、どこの誰かを、問いはしない。

 運動が苦手でも、上手くしゃべれなくても。男でも、女でも。子供でも、おじいちゃん、おばあちゃんでも。美しさも、醜さも。この肉体も、この声も、さらさなくていいゲーム世界では、関係ない。

 なんにも関係なく。
 ただ、この心ひとつで。遊び仲間になれる。

 そんな、こころだけの遊び場をつくり、維持したいと思いました。子供たちはもちろん、かつての子供たちにもです。

 いまもわたしはゲームを遊び、ゲームを作り、ゲームと共に過ごしています。かつてのわたしのような誰かに、こころだけで旅する冒険の地を整えて。「こっちおいで」って、待っていられるくらいには、力もつけました。

 読んでくださってありがとうございました。いつの、誰の、どんな作品でもかまわないから。ちょっと元気ないな……って思ったら。
 ゲームせかいに、遊びに来てくださいね。待ってます。


ゲームシナリオライター&ゲーム世界観設計
生田美和

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