見出し画像

セルフケアの最重要拠点である家と清潔

noteで「#清潔のマイルール」に関するコンテストが開催されている。「「清潔」への価値観の変化、これからその価値観にどう向き合うかという考えやエピソード」を募集しているらしい。

自分は「清潔のマイルール」なんて持たない人生を送ってきたのだけど・・・少し考えて見ると思い浮かぶことがあったので、記してみます。

社会変化ではなくメンタル不調から「清潔」について考えた

ここ数年の社会変化、それに伴う価値観の変化で「清潔さ」に関する考え方も変わったか・・・と言われると、もちろんそれなりには変わったのだけど、それが文章にするほど面白いものかと言われると、そんなことはありません。

でも、改めて「清潔」という、自分とはなかなか縁の無かったテーマについて考えてみると、言語化してみたいと自分で感じる変化はあったことに気付く。それは社会変化からくるものではなく、自分のフィジカル・メンタルの変化によって生まれたものだと思います。

自分にとっての「清潔」の価値観について、書いてみようと思います。

「清潔」は目に見えないものとの付き合い方

「清潔」の言葉が一般的に意味するところは「モノや状態・振る舞いが汚れておらず、綺麗なさま。衛生的でいる状態」のような意味であると思うけれど、「綺麗・衛生的なさま」は抽象的な感覚で、その基準が人によって異なる。ただなんとなく、デファクト・スタンダード的な基準があるように感じます。(だから人から見ると汚部屋な空間を「おれにとっては綺麗なんだ」という家主、みたいな状況が生まれる。)

また、ストレスというか負荷が掛かっている状態について「精神衛生上よくない」みたいな物言いがあって、これは部屋みたいなフィジカルな話ではなく、本当にストレートに目に見えない、メンタルな状態に関する話です。「定期的に手を洗っていて、疾患率が低い状態」みたいな話だけでなく、メンタル面においても、「衛生観念=清潔さ」の話があるわけです。「清潔さ」は自分がメンタル面においてもストレスなく、快く過ごすために考えるキーワード、ということですね。

メンタルという目に見えないものを、いい状態に保つために自分は何をしているのか?するべきなのか?できているのか?そう問いかけると、自分でも「清潔」について思うことがあったんです。

自分の心理状態が変わらなくても、環境が変われば付き合い方は変わる

もともと自分は「清潔さ」にこだわりのある人間ではありませんでした。部屋がめちゃくちゃ汚いとか不衛生とか、そういうわけでは無いのだけど、一般的にイメージされる「潔癖症」「神経質さ」みたいなマインドとは真逆です。

そのマインド・自分の中身は昔から変わっていないのだけど、昔よりは多少、見栄え・自分の外面が変わったのは、学生を終えて1人のビジネスマンとなった時でした。

ヒゲを伸ばして変な服を来て大学院生をやっていた自分が、割とオールドファッションな日本企業の営業職に就いたものだから、自然と髪を短髪にし、白シャツのクリーニングは欠かさず、パキッとした振る舞いを心がけるようになりました。神経質になったわけではなく、今まで通りおおらかなマインドで快く過ごすためにこうなった、という感じです。比較すると、明らかに清潔になったと思います。

この時の清潔さは見栄えだけの話ではなく、メンタル面においても「公正で、エナジーに溢れており、人から好感を持たれる状態」みたいな話ですね。営業職が目指すべき状態です。そうしないと、仕事が上手くいかないなど、心理的に負荷が掛かっていたのでしょう。

自分のマインドが変わらなくても、環境が変われば「清潔さ」に関わる自分の振る舞いが変わる、フィジカルに分かる変化を働きかけることで、メンタル面にも影響を与える、という分かりやすいケースでした。

ただその頃も、プライベートの時間は別に「清潔さ」があるわけではありませんでした。毎日着る白シャツはクリーニングに出していましたが、プライベートな服はそうではない。仕事の時は髪の毛をセットしていたけれど、休日に家で過ごすときはそうではない。まあ、同じような人は多くいるでしょう。

おそらく、プライベートではストレスを感じることなく過ごすことができていたので、振る舞いとしてそこまで求められていたわけではないのでしょう。

環境が変わらなくても、自分の心理状態が変われば付き合い方は変わる

そんな感じで、仕事では営業マンで(比較的)パリッと清潔に、プライベートではゆるっとだらしなく過ごしていたわけですが、プライベートにおいても、今までと違って「目に見える清潔さ」にこだわるようになった出来事がありました。それが冒頭にも書いたメンタル面での不調です。

詳細は省きますが、精神的に不調となり3ヶ月程度休職したことがありました。特に最初の1~2ヶ月はベッドから動けない日も多く、「おれはもうダメだ」というマインドで苦しかったのを覚えています。

想像できる人もいると思うのですが、「メンタル的に苦しいから動けない」のですが「ずっと動けない状態もメンタル的によくない」んですよね。「無理せず休もう」というマインドもありつつ、ベッドから動けず、風呂にも入れず、掃除もできず、髪やヒゲが伸びていく日々も、精神的にヘルシーではない。ついでに言うと清潔ではない。

カウンセリングを受けたり本を読んだりして、そこから脱却するために「まずは(無理のない範囲で)手を動かすこと」「そのために簡単な家事をすること」を意識した結果、シンクに洗い物が溜まっていない状態、床に埃や髪の毛が(ある程度)落ちていない状態、というのができました。

健康であった今までは、そこまでこだわっていなかった「部屋の清潔さ」に働きかけることで、メンタル面で「そこまで悪くない」状態になれたというか、悪化を防ぐことができたような気がしています。

実際、メンタル面の状態って人に説明することも難しいし、なんなら自分にとってもよく分からないんです。他人にとっても自分にとっても、メンタル面の状態を説明する時には「心持ち」の話ではなく、目に見える話をするんです。「ベッドから動けない」とかなんとか。そこで、「風呂にも入れない」「部屋がどんどん無秩序になっている」「髪の毛がどんどん伸びてボサボサになっている」みたいな、目に見える状態の話が増えていくと、「それは良くないよな」という話になります。

だから、自分にとっては全然回復もしていないんですが、無理のない範囲で「掃除機をかける」みたいな、目に見える行為、これが「清潔さ」に関する付き合い方、ということになるのですが、そこに働きかけることになりました。そこに、健康な時よりも意識的になったわけですね。それは結果としてよかったんです。

自分の心理状態が変われば、清潔さに関する付き合い方が変わる、という例でした。

目に見える行いにフォーカスする

潔癖症ではなくたって、心理的にいい状態を保つために、目に見える「清潔さ」にアプローチする。ポイントは、目に見える綺麗さにはこだわらないこと。目に見える行いを操作することで、自分の心理状態に働きかけることが目的なので、過敏にならないこと。

目に見える行為にこだわった結果、心理的にストレスを抱えてしまっては仕方がない。それは避ける。自分の精神衛生上、心地よくなるフィジカルな行為を自分で把握しておく。それはサッパリと髪を切ることかもしれないし、好きな香りのするハンドソープで手を洗うことかもしれないし、床の拭き掃除、キッチン周りのモノがあるべき場所に収まっている状態のことかもしれない。それら全てが「清潔さ」に関わることだと思う。経験上、個人的には行いが「自分の家の中で簡単に行えること」であればいいと思う。自宅は、自分がコントロール可能なフィジカル空間ですからね。

自宅は自分がコントロール可能な空間である。清潔とは、自分がメンタルを快く保つためのフィジカルな行いである。なので、自宅は自分にとってセルフケアの最重要拠点なんです。自分はメンタル面で不調になって、それに気付くことができました。

「清潔さ」にこれからどう向き合うか?自分にとっては、精神衛生を良くする手段として、向き合う。これから自分がまた体調を崩すこともあるだろうし、人が不調な時にも「清潔さ」から何か働きかけてあげられるようになりたい。そう思います。


この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?