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文明のみがある街の夜

ヒューマンスケールから外れた
だだっ広くて綺麗な道に
車は走っておらず
人は歩いておらず
たまに前を通るバイクは全身から自由の風を放っていて
都市の息づかいを感じようと入ったコンビニからは
いかにもなMALLSOFTが流れている。

ここには文明があって
文化がなくて
当然自然もある。
海が近くて、文明とぶつかった波音がして
風は心地よく
どこにいるかは分からないが虫の音色も聞こえる。
人がいないから自然とまっすぐ向き合える。

そして文明があるということはとても偉大なことで、
都市の活動によって文明はずっと維持されている。

平成から時の止まっただだっ広い道は
ゴミひとつ落ちておらず
落書きのひとつもなく
照明は安全にあたりを照らして
その上に立って私は自由に歩いている。

普段私が住んでいる街は
エリアがヒューマンスケールに作られ
そこで歴史が何重にも積み重なって
レイヤーが都市の表層に滲み出ていて
そこを生きる個人が歴史を紡いだり
新しい取り組みを始めたり
文化が溢れている。
そこが好きで住んでいるのだけど。

もしその街に落書きがあったり
古きと新しきが入り乱れ歪なさまがあったりと
醜い様があったとしても
それも開き直って
文化とはそういうことだ
都市活動のあるべき姿はこういうことだと
思っていた。

かつて文明があって文化のなかったとある新興国の宰相は
濁っていない水槽に魚は泳がないと語り
文化施設の開発に舵を切り
そこから都市が変わっていく姿を
私はただ見ていた。

文化こそが都市のエンジンであり魅力そのものであると思っていた。

今訪れている街のように
都市構造がひとつの時代に作られ
ひとつのレイヤーしか見えず
個人の集まりの蠢きが感じられるというよりは
大きなマスタープランニングの力のみが感じられる場所は
文化的でない、文化的でないということは劣っている、そう身勝手に思っていた。

でも今街を歩いていると、
ひとつの時代に作られた文明が
20年か30年か経った今も
当時のイデオロギーが生き残っていて
深夜の今でもその都市は確実に動いている。
この事実は軽んじられるべきではない。
世界のあらゆる都市・あらゆる時代においても
奇跡的な状態なのではないかと思う。

イデオロギー、そしてエンジンが今なお動いているからこそ、都市がひとつのレイヤーで美しく保たれている。

普段は不可視な文明のエンジンが
見えるようになったのは
ここ数年の間の世界的な災厄。
動かなくても済む労働者と
絶対に動き続けなければいけない労働者の
明確な線引きがそこにはあった。
そこで自分もようやく目が覚めた。

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