往復書簡 第6便「きげんよくすること#2」(往信:タムラ)
内田先生
こんにちは。タムラです。
きょうの東京は雪です。2024年の初雪で、ずいぶん冷え込んでいます。
神戸も、きっと寒いですよね。
でも、なんだかやっと冬らしくなった感じもして、寒いのも悪くないぁ、とぬくぬくしております。
さて、以前ご返信をいただいた「きげんをよくすること」の中で、「救難信号を聴き取ってくれそうな甘さ」というお話がありました。
わたしも、そういう方々に幾度となく甘えさせてもらったかわからないな…と内田先生やたくさんのお世話になった方々のお顔を思い浮かべながら、ふと感じたことがありました。
救難信号を受け取れてしまう方々は、「聴こえちゃう」から、その人たちにばかり救難信号が届いて、てんてこまいになってしまうのでは…と。
ちょっと話が違うかもしれないのですが、きげんよくしている人や元気な人に、「あいつ元気そうやし、こんくらい(あるいはこういう類の)仕事させても、いけるやろ」的な発想で、仕事がガサガサと振られるようなケースです。
そうして仕事がバンバン飛んできても、サクサク捌ける人だと問題ないと思うのですが、仕事が増えすぎると、そういうふうにできない状態になってしまうこともあると思うんです。
そして、救難信号を受け取っていた人が、ボロボロになってしまうような。
あるいは、「元気なやつに仕事回してまえ」的な現場では、みんな肌感覚で「元気な姿を見せると仕事を増やされる」とわかっているために、仕事を振られまいと、不機嫌に振舞ったり、具合悪そうにしていたりします。(だから、余計に「元気そうな人」に一極集中的になるなんてことも…。)
本来の生命力をそんなふうに自ら損なっていくなんて、内面的な自傷行為に近いと、個人的には感じています。
でも、仕事を増やされたり、いやな仕事をしたくないから、自分を守るためにそういう本末転倒なことをしてしまう。
そういうのって、なんだかよくないと思うのですが、自分のキャパシティとか、時間とか、人それぞれの限界はあるし、どうしたらいいんだろう?…と、立ち止まってしまいます。
内田先生のもとには、じゃんじゃんお仕事が届き、じゃんじゃん救難信号が届いていると思いますが(この人生相談室だって、救難信号の一つですよね)、お仕事をこなされ、救難信号への手当てをされている姿を想像すると、それは千手観音のようにも思えていきます。
(いくつもの手でパソコンのキーボードをたたきつつ、数多の「助けて」サインに手を差し伸べるような…。あ、もちろんもっといろんなお仕事や救難信号対応をなさっているので、ほんの一例に過ぎませんが。)
内田先生のおっしゃる「救難信号」を、具体的な生活の場で想像してみたときに、仕事の現場が思い浮かんで、つい書いてしまったのですが、救難信号のキャッチをしながら、自分のキャパシティとの折り合いをつける方法を教えていただけたらありがたいです。
内田先生の秘技、というか、魔法を知りたいです。
よろしくお願いいたします。
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