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こえ と ことば ①

はじめに
いくつもの流行りと世代交代を経て、社会に認知されるようになった、声優という職業。時代の変化やメディアの増加に伴い、外画、動画、ナレーション、ラジオドラマなどに声を吹き込むだけでなく、ゲームやライブイベント、MCや歌唱など放送という枠をこえて活動の機会が増えてきているのは間違いない。
だが、認知度が増え声優という職業を目指す人間が増えれば増えるほど、仕事という椅子取りは過酷になっていく。更に言えば、求められることの多様性、クオリティの高さも日々高くなっている。時間は有限であるわけで、それぞれに等しく研究の時間を割くわけにはいかなくなってくるだろう。
私は、演劇、とりわけ演技の魅力にとりつかれた人間の一人だ。高校の三年間は演劇に費やし、大学進学のための準備もせず、より演技をすることに熱狂していた。部活動を通し作品を形作っていく面白さ、やりがいを感じ、将来の職業にできればと考えた。当時は現在のようにインターネットで容易に情報が集められるような環境ではなかった。だからこそかもしれないが、メディアの影響力は大きく、ラジオや雑誌など数少ない情報を元に師匠の養成所にたどり着いた。私が野沢那智創設のパフォーミング・アート・センターの門を叩いたのは20歳になる年だ。師匠の養成所の門を叩いたのは、そこが創設3年目という若さだったから。もともと先輩に大きな顔をされるのが好きではないタチであったのと、創立したてで人数が少なければ、目立つのも早く結果、デビューも早いだろうという打算的な考えでしかなかった。
それから20年の月日が流れた。職業志望人口が増えるに従い、それをビジネスチャンスとして捉える養成所事業者、事務所運営者は年々増えている。年間数十万から百万単位の高額なレッスン費を支払い、自身に残るのは青春の思い出のみ… 所属したはいいものの満足な仕事もできず芸歴は埋まらないまま年数だけが過ぎていく… というのはそう珍しい話ではない。
業界で飯を食わせていただき、トレーナーとしてのキャリアも15年をこえる。古巣の養成所がなくなり、大手を振って師匠・野沢那智の演技を伝える術が減ったということもあるが、教本らしい教本はこと日本の演劇業界、声優業界には見当たらないこと、自身が教えていくにあたりより適切な教本の必然性を感じたことなども今回の拙文を書き記すための後押しとなった。
将来のことを見据え、努力を重ね、研鑽を積んでいる諸氏に偉そうなことは言えない。私自身は自堕落が好きな、真面目に学業に取り組んでこなかった落ちこぼれである。そんな落ちこぼれの私だからこそ、荒波と言われる業界になんとか食らいついていくために、「これは使えそうだぞ」という先人の知恵を拝借し、まとめようと試みたものが今回の拙文になる。お付き合いいただければと思う。

基礎は一番下に来る
声優に限らず、技術職の根っこにあたる部分は基礎力ではある。しかしながら、この基礎というやつは必然性がわからないうちは実に退屈なものでもある。基礎トレーニングばかりでなかなか実技が行えず、想像と違ったからと養成所を辞めていった人間を何人も見てきた。
まずは、演技をしてみよう。その後に必要なもの、足りないものを見つけ出し、不足しているトレーニングや研鑽したいトレーニングを行えばいい。全てを理解する必要はないと思うし、全てのトレーニングがルーティンとして必ずしも必要なわけではない。徒然草の百五十段にもあるが、「上手にできない間は、迂闊に人に知られないようにしよう。こっそりと一人で習得して、それから人前に出れば格好がつく。」などと思ってみても、すべての準備ができてから世に出ようとすればすでに登場する幕は終わっており機を逃すということにもなりかねない。
スタニスラフスキーの言葉を借りれば、『良い演技をするか、ダメな演技をするかではない。真実を演じるのだ』あなたの演技が素晴らしかろうと、そうでなかろうとそこが問題ではない。あなたがコントロールできるのは、そうするための意思であり、真実はあなたの意思によって起こした行動にのみ扉を開ける。
時間は有限であり、貴重な資源だ。全てを失敗し、その経験から学ぶ時間がないように、すでに持っている知識を惰性で学び直す時間もない。さらにいえば、基礎を身につけるには一朝一夕では到底間に合わない。日々の絶え間ない努力が必要なのである。最初に基礎をやった気になってもらっては困る。必要な時に必要な勉強ができるように工夫しよう。
ただし、最低限の確認事項はある。基礎は、日々の自分の状態を知るための物差しとなる。人間の身体は変化するものだ、日々の体調の変化、変調を確かめるためにも自身の基準点を作っておくと良いだろう。

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