見出し画像

 贅沢な時間

 二十年ぶりにスキーに行った。きっかけは些細なことだった。天気がいいと我が家から御岳山を望むことができるのだが、年の瀬に雪化粧された急峻な岩肌を見ていて急に滑りたくなったのだ。以前なら雪山の美しさに見惚れることはあっても、雪山に行こうという気持ちにはなれなかった。きっと陶芸教室の仕事にも慣れ、自分が職場で役立っていると実感もできるようになり、現実をもっと楽しもうとする余裕ができたのであろう。
 スキーに行こうと決めると行動は早い。スタットレスタイヤを通販で注文し、スキーブーツも新調した。そして正月明けには木曽福島スキー場を目指して、ハンドルを握っていた。
 中津川で高速を降りひたすら国道十九号を走る。「木曾路はすべて山の中である」と書いたのは島崎藤村だっただろうか。かつての中山道が十九号と名をかえても、蛇行し、上下し、トンネルと橋を繰り返す山間の隘路が 落合宿から贄川宿まで八十キロも続く。高速道路もわき道もないから逃げ道がない。以前、八方尾根の帰りに雪で高速が通行止めとなり、この十九号が大渋滞。ちょうど木曽福島のあたりで前にも後にも進めなくなり、そのまま一夜を明かしたことがあったっけ。そんなことを思い出しながら、ところどころ凍結している道を慎重に走る。
 八時くらいにスキー場に無事到着する。久しぶりのスキー場は新鮮だった。雪の白と空の青が目にまぶしい。スキー板で雪面を踏む感覚も、冷気で鼻がつんとするのも懐かしい。滑りに慣れてくると、雪面を切っていく感覚を思い出す。頭では忘れていても身体は覚えているものだと感心する。でも体力は確実に落ちていて、二、三本滑ると身体が休息を要求する。リフトの終点に木製のベンチを見つけて、ちょっと大胆にあおむけに寝転がってみる。火照った身体に外気がひんやりとして心地よい。雪が音を吸収するのだろうか、リフトの音も他のスキーヤーの話声も気にならない。青い空を白い雲がゆっくり流れていく。ぼんやりと雲の行方を追っていると次第に雲が動いているのではなくて、地面が動いているのではないかと錯覚を覚えてくる。ふと、まどみちおの詩を思い出す。
 
 目をつぶり
 耳すます
 安らかな寝息のようにつづいている
 この地球の自転公転に
 
 この詩のように日常の些末事から解放されて、地球の自転の音に想いを馳せるなんて、すごく贅沢な時間ではないだろうか。
 でも数年前は会社の人間関係に悩んでいて、そんな余裕がなかった。会社はいい会社だったが、直属の上司との相性が悪かった。彼は恫喝と懐柔で人をコントロールしようとするような人だった。時には核の傘下のように守られることもあったが、言葉の暴力は部下に向けられることもあり、その傷は澱のように溜っていった。次第に僕は、職場が近づくと動悸がしたり、不眠にも悩まされた。逃げ場のない袋小路に追い込まれたようになってしまい、退職を決意した。退職はあっさりと認められ、もう彼の顔を見なくていいんだと安堵した時のことは今でも忘れられない。
 あれから三年が経つ。今ならば、あの年下の上司とも笑って話せるような気がするがどうだろうか。  

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?