対話6-B 他者を受け入れる心の余白(石田月美)
まず、二村さんの問題意識を私なりに整理させてください。
二村さんは、そもそも恋愛を始めるために動くことがうまくできず、恋愛を始めることができない男性について、次のようにおっしゃいました。
つまりこの問題は、恋愛ができない男性は女性に対する恐怖心から支配的になったり暴力的になったりする、ということだとも解釈ができます。そのような男性も一部にはいらっしゃるのかもしれません。であるなら、やはり心の穴というものを今一度定義し直し、その有用性を考えていく必要があるでしょう。
感情と考え方の癖
まず私からは、「感情」と「考え方の癖」という分け方をさせて頂きたいと思います。考え方の癖は、ご本人の生育歴や周りの環境、また社会構造などに影響されるでしょう。例えば、「女性は自分を傷つける」という考え方の癖があれば、女性と対した時に「怖い」という感情が湧き出てくると思います。
感情とは自然に湧いて出てくるように一見思えますが、自分でもわざわざ意識しないような考え方の癖から大きく影響されるものだと思います。ということは、女性への恐怖心に焦点を当てるのではなく、その感情を誘発する考え方への対応を検討した方が有効でしょう。
因果を考えるよりも新しい関係性を
私は「『心の穴』は短絡的な因果論である」と申しました。なぜ失礼を承知でそのようなことを申し上げたかというと、私は、因果は循環すると考えているからです。確かに、自分の考え方の癖が幼少の頃の生育歴に由来することもあります。そう考えると、生育歴が因、現在の考え方が果、ということになります。
しかし、我々は今までもこれからも家族以外の多くの人と出会いながら生活をしています。そのような出会いが因となり、自分にとって新しい考え方という果を実らせることもあるでしょう。生育歴の影響が全く消える訳ではありません。けれども、その影響を持ちながらも、様々な人たちと関係を築くことによって、自分自身の考え方は変化してくるのだと思います。
私は、自分一人で内面を掘り下げるよりも、自分以外の誰か、他者との関係を築くことの方が重要だと思っています。それは友人であったり、仲間であったり、もしくはカウンセラーのような専門職の方かもしれません。そのような他者の存在が因になり、これからの人間関係が変化してくる。自分の持っている人間関係の種類が変化すれば、おのずと考え方にも変化が生じるでしょう。
これからの心の穴
確かに生まれ育った家庭の影響は受けます。しかし、その後の出会いで私たちは新しい考え方を、新しい人間関係というものを自分の中に受け取るのです。そして、その芽吹きは心の穴から生まれるのではないでしょうか。つまり、心の穴とは、絶えず変動する可能性を持つ、他者を受け入れる心の余白であるという考え方はいかがでしょう。
心の穴とは、そのくらい躍動的なものだと思います。そこから湧き出てくるのは、他者との出会いによって生じた新しい考え方の癖であるかもしれません。また、変化した考え方によって生じた新しい感情かもしれません。
行動により考え方が変わり、考え方が変わると感情が変わる
私自身は基本的に行動を主眼において考えています。なぜなら、その方が考え方の癖を変化させる可能性が高いからです。「女性は自分を傷つける」という考えを持ってらっしゃる方に、いくら「怖くないよ」と言っても無駄だというのは想像に難くありません。それよりも、自分に優しくしてくれる女性と出会ったという体験の方が鮮烈なパラダイムシフトを起こすでしょう。
もちろん、怖いと感じているのに、急に女性と会う場所に出かけるのはハードルが高いと思います。その場合はまず、自分の怖れの階層表を作ってみて頂きたいです。階層表とは、心理療法の認知行動療法で作成される表です。まず、一番怖くない場所を1、一番怖い場所を10として書き出してみる。そして、1の場所から順々に実際に行ってみて頂きたいのです。自分の頭で「なぜ怖いのか」などをアレコレ考えるよりも、行動による慣れの感覚を体に染み込ませる方が有効だと思います。一見厳しい方法論のようにお感じになるかもしれませんが、やってみるとよっぽど楽です。なぜなら、原因や感情に焦点を当てて、「自分で自分を愛する」や「自分で自分を許す」などというゴールを目指しても、閉鎖的な自己愛にしか辿り着かないかもしれません。また、人間関係の切断や孤立が生じる可能性もあります。
私は、この往復書簡の初めに、「私が二村ヒトシを尊敬する一番の点は、変化を恐れないところだ」と書きました。二村ヒトシの生み出した、心の穴という概念。それは、まさに二村さんご自身が体現する、他者を受け入れ変化する心の余白なのだと思います。
いかがでしょう、二村さん。新しい恋愛論を考える上で、少しはお役に立つと良いのですが。
石田月美