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対話7-A これからの恋愛論(二村ヒトシ)

石田月美さま

この往復書簡の連載で、月美さんの知見と筆の力によって、僕の考えはずいぶん更新されたように思います。本当にありがとうございます。

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に「恋とは、相手を“得る”ためにするものではなく、自分を“知る”ためにするもの」と書きましたが、これからは、

「恋愛(や結婚)は、いまの自分であり続けるためにするのではなく、自分が“変わる”ためにするもの」です、僕はそう考えます、という言いかたをしていくことにします。

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』文庫ぎんが堂

とくに男性にとって、変わることができる機会は貴重でしょう。

「自分を知る」と書いたのは「どんなときに、自分はどんなことをしてしまうのか。どんな感情を持ってしまうのか」つまり「自分の考えかたの“くせ”=心の穴のかたち」を知っておくことが、人生を良くすることに有益だろうと考えたからです。

しかし月美さんとのやりとりによって、恋愛の最中にも自分のほうばかりを向いていて「自分を知ろう、知ろう」と努めることで「なぜ自分は、こうなんだろう……」という固着した思考パターンに陥り、 堂々巡りになってしまう(心の穴が「あいた原因」に思いをはせることが、堂々巡りに拍車をかけてしまう)事態があり得るということを理解しました。

あらゆる親が必ず子供の心に穴をあけるのだから、いったん心の穴を「親のせい」にしていいという言説も、恋愛で女性が陥りがちな自己責任論にならないようにするための僕なりのアイデアのつもりだったのです。

また「心の穴は(なくならないけど)かたちは変わる」とずっと言ってきたのも、恋愛その他の濃厚な経験によって感じかた(認知、と言ってもいいかもしれません)が「変化していくこと」にこそ当人にとって意味があるのだ、と伝えたかったからなのではあるのです。

しかし、じっさい「親にあけられた心の穴」という強い言葉だけが過剰に伝わりやすく、おそらく読者の心にフィットしすぎたのでしょうね、そこばかりが知られてしまった。

月美さんのおっしゃるとおり、心の穴は「親だけが」あけるのではないし、また成長してからも、日々出会って言葉を交わす友人知己によっても、友人知己や恋人に対する自分の行動を考えていくことによっても、穴のかたちは変えられていく。そう考えたほうが風通しがいいです。

矛盾した「考えかたのくせ」から生まれてしまう自分のネガティブな感情に、いちいちとらわれないほうがいい。それよりも行動が大事。自分のネガティブな感情は、受け流す。

『なぜあなたは「愛してくれない〜』には「湧いてしまった感情は、気が済むまで感じ切れ(抑圧するな)」と書いたのですが、これはどちらがいいんでしょうね。人によるのかな。いや、やっぱり「怒りや悲しみのスイッチが簡単に入りやすい心の穴のくせ」は、かたちを変えていったほうが有効でしょう。自分の感情を受け流すということは「我慢をする」ということとはちがいます。怒りや悲しみの感情が、自分の外部から来た暴力や抑圧によって引き起こされたのだとしたら、なんらかのレジスタンス(抵抗)をする行動は起こしたほうが有効なのです。 それと「自分が感情にとらわれてしまう」のとは別。(そこを別に扱うのが、なかなか難しいわけですが。そこを切り分けることこそが「自分の心の穴が生む考えのくせを知る」ということでしょう。自分を知ろうというのは、その場面で有効になってくると思います。)

人間が「本質的に変わる」のには時間がかかるのだ、なんて言うことはいくらでもできます。しかし「人間の心の穴のかたちは、他者との関係によって、日々ちょこちょこと少しずつ変わっていってる」という立場に立つほうが、さきゆきに希望が持てるでしょう。

モテるモテないではなく、 
「変わりたくない」ということが
「恋愛がうまくいかない」ということ

先日、非モテを自認する一人のシスヘテロ男性と会いました。話を聞いてみると、彼は「この世のすべての女性から相手にされていない」というわけではないのです。詳細は伏せますが、ある女性から性的な(そして暴力的ではない)アプローチを受けた経験はあるのだと言います。 しかしそのとき彼は「怖くなってしまった」と言います。性的な体験をすることが怖かったのではなく「非モテというアイデンティティを失ってしまうこと」が怖かったのだと言うのです。彼は彼女からのアプローチに応じませんでした。そして「ああ、こういう動きをとる俺は、やっぱり非モテなのだ」と確信して、さみしくもあったけれど同時に安心したのだそうです。

これは、その男性の身に(というか、心に)起こったことであって一般化できないだろ! そいつとちがって俺は女からアプローチなんか絶対されないのだ、そいつは恵まれている男じゃないかと叫び出したくなる男性もたくさんいるでしょう。

ですが前回も書いたとおり、そうまで叫びたい男性たちは月美さんの『ウツ婚!!』の How to編の、ひきこもりの女性が鬱を少しでも良くするために婚活に挑むために外に出れるような姿になるために少しづつセルフケアをしていく、そのための具体的なセルフケアの技術を、自分ごととして(自分の頭の中で「男性向け」に改変して)読んでくれればいいのにな、と僕は切に思うのです。

石田月美『ウツ婚!!――死にたい私が生き延びるための婚活』晶文社

いまのアイデンティティが変わってしまうことが「怖い」という感情は、非モテの男性(女性、その他)だけではなく、モテてはいるけれど幸せではない多くの女性や男性の心の穴からも生じています。

このままで幸せを感じることはできないことはわかってはいるけれど、変わりたくもない。“自分の信念” を手放したくない。その矛盾が苦しいのだということも、わかっているのに。

「女は、俺を愛さない」という考えかたのくせ(信念)を持ってしまった男性だけでなく、たとえばモテていながら「私のまわりには、ろくな男がいない」という考えかたのくせ(信念)を持ってしまった女性。

(しかし、その女性の居場所によっては本当に、ろくな男がおらず暴力的な男性しかいないことがありえるので、その場合は考えかたのくせを変える前に、なんとかして居場所を変える、すみやかにその場からずらかることが有効なのですが。それはそれでなかなか難しいのです……)

そして、ろくな男がいないという「考えのくせ」を持ってしまった女性が、恋愛や男性との結婚以外に自分を充実させていることもあって、その信念を持ったままで矛盾なく生きていけているのであれば、彼女は苦しくないかもしれません。ならば何の問題もありません。

問題は、その信念を持ったまま「でも結婚したい」という欲望も持ってしまっている場合で。

その人にとって「ろくな男がいないと思いこみたい(そう思うことで、怒りつづけていたい。あるいは悲しみつづけていたい)」という欲望と「結婚したい」という欲望、どちらが深い(変えることがむずかしい)欲望なんでしょうか。それも個人によって、ちがうのでしょう。

「変わるために恋愛がある」と言っても、どう変われば、なにを変えればいいのか。

相手との関係で自分の苦しみを見つけたときが、変われるチャンスなんだと思います。心の穴が生む欲望や思いこみの矛盾が、あなたを混乱させているのが苦しみだからです。

ややこしいのは「恋愛がうまくいっているように見えている人たち」の中には、恋愛のたびに相手の存在によって「自分」が変えられているわけではない人も混じっているということです。ただ表面的に相手に合わせることだけが上手い人というのがいる。

でもまあ、それもそれでいいのか。そういう人が、その人の心の穴が生む欲望や考えかたのくせの矛盾によって苦しめられておらず、つまり表面的に相手に合わせるのが苦痛ではなく、幸せなのであれば。 

恋愛論は何のためにあるのか

読んだ人が、立ち止まって座りこんで考えこんでしまうためにあるのではなく、考えかたなり行動なりを変えて幸せになるためにある。

つまり恋愛論とは、恋愛とは何か(あるいは、結婚とは何か)を考察するためにあるのではなく、読み終えた人が“変わる”ためにある。僕はそう考えます。

昔から恋愛論が存在するのは、昔から恋愛やセックスのことが(僕を含めた、ある種の人にとって)重大で深刻だからなのでしょう。

人間の三大欲求は「食べたい、休みたい、セックスしたい」ではなく「食べたい、休みたい、愛されたい(愛したい)」だと僕は思っています。 愛されたい(愛したい)とは、まさに親密さと承認の問題です。

人間は、承認されたい親密になりたい欲求を叶えるためのツールとしてセックスを、つまり本能としての性欲を、使うことがある。同じように恋愛関係という「他者との関係」も使うことがある。
(恒常的に食べていったり休んだりするために、セックスや婚姻関係を使う場合もあります)

人間らしく食べたり休息をとったりするために他者との何らかの関係が必要である場合が多いのと同じように、そして月美さんのご指摘どおりに、承認されるための前提として相手を承認する(承認させてもらう)ことが必要です。

相手を愛するということは相手を承認するということであり、それは、まず相手を大切にするということでしょう。しかし、こっちが大切にしたいように勝手に大切にするのでは、それは「承認すること」にならない。

どういうふうに相手を大切にするか。それは相手をちゃんと見ないと、わからないでしょう。

恋をしてしまうのは「自分のあり方はそのままで、ここではない「どこか」に連れて行ってもらうため」だというのが僕の持論でした。

ですが一方的に「恋する」のではなく、おたがい「どこか」ではなく「ここ」にいながら恋愛をしてしまうのは「変わるため」です。変わって、生きていきやすくなるため。

相手を大切にできるように心の穴のかたちが変わるのが、恋愛がうまくいくということなんでしょう。

恋愛がうまくいくにせよいかないにせよ、やっぱり、この世に自分ではない「他人」が存在しているということは、いいことです。その他人をこちらが承認したときに、承認が返ってくる場合と返ってこない場合があるけれど、どちらにせよ、それによってこちらは変わること(変わるための手がかりをつかむこと)ができる。

二村ヒトシ