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【さきよみ・表題作】尾久守侑『倫理的なサイコパス――ある精神科医の思索』より「倫理的なサイコパス」全文掲載!

5/24刊行の『倫理的なサイコパス――ある精神科医の思索』は、H氏賞を受賞した詩人としても活躍する精神科医・尾久守侑(おぎゅう・かみゆ)さんが、心と頭と診療をめぐる思索をユーモアたっぷりに綴った臨床エッセイ。表題作「倫理的サイコパス」を全文公開します。

倫理的なサイコパス

 
特に暇というわけではないが、今やらなければいけないことに取り組む気になれないときにSNSの巡回を50周くらいしてしまう。

それでいくら更新しても誰の新しい投稿もなかったりするとまったく読む必要のないネットニュースを読んだり、Instagramの虫眼鏡の形のアイコンを押してさらに閲覧する必要のない情報、例えば「楽天ポイントだけで生活する夫婦のポイ活のススメ」「レンジでチンするだけ! 絶品! 塩ダレネギ豚丼」「嘘でしょ……今週のGUの新作やばすぎる件」みたいな投稿はまだ役立つ可能性があるからいいとして、「B型彼女さんに絶対に言ってはいけないコト5選」とか「バイト先の可愛い先輩にドッキリ仕掛けてみた」などといった、何一つ人生と関わりがないばかりか、内容も絶望的に浅い投稿や、生捕りにされたどデカい海老に香辛料を豪快にかけて焼いたり蒸したりしている様が中国語で解説されている意味不明の調理動画を次々に眺めてしまい、やるべきことにまったく向き合えていない現実をより強く味わい苦しくなる、みたいなことを日に4、5回はしている。

先日そういった虚無時間を繰り返していたところ「アナタももしかしてサイコパス?」という投稿があって、サイコパスの特徴のようなものがセルフチェック方式で書かれてあった。暇なので(暇ではない)早速やってみたのだが、妙にサイコパスっぽい回答に寄せたくなってしまう。「俺ってサイコパスだからな〜」みたいな中学2年生の気持ちが心のあたりから発生しているのを感じた。ちょっとカッコいいのではないかと思ったのである。

サイコパス。日本ではインスタの虚無投稿にもあるくらいごく当たり前に知られている概念で、”一般語” としての意味は、共感性がなく目的のためなら手段を選ばない、みたいな性格をもったぶっ飛んだ人、的な感じで、精神医学的な意味での精神病質とか反社会性パーソナリティなどとは重なり合う部分はあるものの、「サイコパス」といえばそういう精神医学的な意味からは若干離れて「やべえやつ」みたいな語義で認識されているといってよいだろう。

なぜサイコパスの話になったのか。

虚無投稿を見すぎているからなのはそうなのだが、日々診療を行う上で、ときどき自分のしている行為が ”サイコパス” っぽいなと中2心なしに頭をよぎることがしばしばあるからである。

日々の診療は「一寸先は闇」という状況のなかで行われている。すなわち、何の準備もないまま、まったく情報のない、放っておけば死んでしまうかもしれない患者さんがいきなり目の前に登場し、適切に処置できなければ実際に患者さんは死んでしまうこともあるし、それで訴訟になってこちらが社会的に死んでしまうこともある。というと、江口洋介や山Pという人たちの顔が脳内に去来し、ああいう救命病棟とかドクターヘリみたいな切迫した救急の現場が思い浮かんだ人がいるかもしれないが、そういった一瞬の判断が生死を分ける場においては、時に ”サイコパス” 的な振る舞いが正当性を持つ。

大規模災害などで現場に数えきれないほど負傷者がいたとすると、放っておいたら亡くなってしまう可能性のある人が一番に優先され、腕を折った人とか、擦り傷を負った人とか、パニック発作を起こしている人とかは後回しになる。さらには、まだ生きているがほとんど助かる見込みのない人は一番後回しにされる。トリアージである。なぜそうするか誰でも理屈は理解できるが、いざ自分が当事者となったら、後回しにされたことを非情に感じるだろうし、トリアージした医療者を鬼のように思うかもしれない。

また、外科手術の際に、ダメージコントロールサージェリーといって、まずは全身状態の安定のために細部は後回しにして応急処置的な手術を行う方法があり、この方法にも似たところがある。

これらをして ”サイコパス” などと呼ぶ人は誰もいないわけだが、時間や人員が有限ななかで予告なく絶体絶命なことが起こり、その瞬間の最適解を出さないといけないのは医療の常であり、精神科診療においても例外ではない。精神科診療というと、もっとゆったりしたイメージが多くの人にはあるかもしれないが、意外にそうでもなく、トリアージやダメージコントロールに相当する手法が必要とされているし、精神科医はみな無意識に使っている。

私たちにとっては日常的な例だが、病棟では患者が自殺未遂を起こし、とんでもなく怒った患者家族が怒鳴り込みに来ているが、その日は外来日で、予約が定員の300%くらい入っており、すでに1時間押した状況にもかかわらず、いつもは5分で終わる患者が昨日死のうとして樹海まで行って戻ってきたことを打ち明け始め、待合室の外ではふだん安定しているはずの患者さんが怒鳴り声をあげて走り回っている声が聞こえ入院の調整をしないといけなさそうで、それなのに先ほどから物凄い便意に襲われていて今にも漏らしそう。みたいな状態である。

便意などどうでもいい、その辺ですればいいじゃないか!と思うかもしれないが私も社会生活を送っているのでそういうわけにもいかないだろう。便を漏らさないことが第一優先になるはずである。毎日毎日ここまで重なるわけではないが、まあ差し迫ることがある。

救急のように、肉体の死が差し迫っていることと比べれば大したことはないと思うかもしれないが、そうでもない。第一に精神科においても、実際に肉体の死は差し迫っていて、時間や気力が、目立って ”重症” や ”緊急” の患者に割かれると、相対的に他の患者の診療時間は圧縮され、ちょっとした不調のサインを見落としやすくなり、実際に患者の肉体の死、つまり自殺に繋がることがある。

また、救急においては、肉体の死を防ぐためなので、後回しになった人の心が傷つくことは二の次でしょうという説明に説得力があるのに対して、精神科では、全員をそこそこちゃんと診るために、誰かの心の傷つきを二の次にするということをしており、精神科なのにそれはどうなん?という葛藤が生じてくる。

時間の話だけではない。毎日毎日たくさんの患者さんの話を聞いていると、当然のことながら患者さんの辛い気持ちが、差し迫った形で伝わってくるので、ものすごく疲れることになる。いま読者がイメージしたのは、こんなことがあって、あんなことがあって、と涙ながらに患者が話し、可哀想になあと思いながら精神科医が聞いて心を痛めている図かもしれないが、そうではない。例えばそれは、部屋に入るなりいきなり患者が「先生がこの間言った言葉で私は傷つきました。あの『あなたは優しいから』というのはどういう意味で言ったんですか。馬鹿にしてますよね。謝ってくださいよ」などと、まったくの勘違いで怒鳴られてものすごく怖く嫌な気持ちになり、ああ、この怖く嫌な気持ちこそがふだんこの患者さんが厳しい夫に怒鳴られたときに感じているものなんだろうなあ、みたいに本人の辛さを理解する、といった真に迫った形で伝わってくる。ふつうに生きていてこのような考え方をすることはまずないが、精神医学、特に精神分析的な発想が診療のベースになっている医師はしばしばこういうことを考える。

一日で50人患者を診るとして、全員にこれをやられるとこちらの精神が崩壊してしまうので、そうならないよう ”サイコパス” 的に考えることで、こちらの精神の健康を保つのである。

さっきの例で言えば「この患者さんは境界性人格障害なのだろう。でも以前診ていた◯◯さんよりは症状が軽いな」みたいに ”病気” 扱い、ないしは ”カテゴリ” に落とし込むことによって、直接その人の心に触れないようにするわけである。

”サイコパス” 的に考えるとは、あるところで、全員の心を平等に考えるのをやめ、時間と気力を最適化することである。社会的なお仕事としての診療を完遂するには必要なわけだが、本当に一人ひとりをちゃんと診ていることになるのか、という問題は残る。

私は、ただの ”サイコパス” になりたくないとこの時思った。この時とはいつか。気づいたときである。”サイコパス” 的に考えることがお仕事としては必要としても、”サイコパス” 的に考えたことで、切り捨ててしまったかもしれない部分をもう一度検討し直せる ”倫理的なサイコパス” に私はなりたい。

この第1章では、ついサイコパスな方法をとらざるを得ない自分と、でも倫理的でいたい自分の葛藤みたいなものを書いている。時々飽きて関係のないことも書いているが、私が日々苦悩していることの一端が表せたらいいなと思っている。

という原稿を私を慕っている後輩に見せたところ「先生、そんなひどいことを思っているなんて人として見損ないました。私はサイコパスな方法なんてとったことありません。もう顔も見たくないです」と言われて私は今追い詰められている。

尾久守侑『倫理的なサイコパス』「倫理的なサイコパス」

【目次より】
◆第1章 倫理的なサイコパス
倫理的なサイコパス / 犠牲者の臨床 / ヨコヤとの戦い / ドロップアウト / 傷つき傷つけながら生きるのさ / 病気を診ずして病人を診よ / 守護霊論 / 七瀬ふたたび / いいひと。 / 思春期とSNSと私
◆第2章 破れ身の臨床
破れ身 / ほとんどが無名 / 歯が命 / 多重関係 / 二刀流幻視 / 兄役 / 先生のツイートみてます / ルーティン / 美容外科医に学ぶ / 「ありのままの姿」役
◆第3章 知らんがな、社会問題
社会問題って何 / メンタルかかりつけ医をつくる / MBTI / 「場」がなくなる / 身体に合わせる / 強制医療の悩み / 精神科医の書く一般書について / 道中不適応 / サプライズ / サイレントマジョリティー / 高いいね血症

尾久守侑『倫理的なサイコパス――ある精神科医の思索』(晶文社)は、
5月24日発売予定! 本の情報はこちらから↓
https://www.shobunsha.co.jp/?p=8227