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日本映画について想像してみる

こんばんは、俵省太郎です
だいぶ前に途中まで書き殴って力尽き放置していたnoteを発見したので、そのままの状態で公開します

日本のレベルが低いとは思わない、という俳優さんが先日いらっしゃいましたが、私もそう思います。最近色々邦画や日本のドラマを観ていますが、たまたまその映画などが面白くなかっただけで、面白い作品は勿論あると思いますし、面白くないのをたまたま観て、日本の映像作品のレベルは低い、と一概に決めつけるのは間違いだと思います。

ただ、私の意見としては、面白いものが少なく、面白くないものが多い、ただそれだけのような気がしています。

私が先日観た『望み』という映画は、地味な作品ですが題材が良くて、高校生の息子が犯罪を起こした側なのか、それとも被害者側なのか、家族はどちらを望んでいるのか、という物語でした。
話の根幹に大変興味をそそられる良いテーマだと思うんですが、いかんせん台詞のやりとり、人間の描き方、話の展開、が面白くないんです。

いわゆる基本的なところが面白くないんです。大変失礼な言い方をすると、シナリオ学校に入って2年ぐらいたった生徒が書くような脚本なんです。

おそらく、それなりの実力というか実績のある人が丁寧に作ると、心に重くのしかかる良い映画になっただろうと思いますが、今回この映画のこの出来栄を見て、これで良しとしてしまうんだ、という残念な気持ちしか感じることができませんでした。

監督にセンスがない、のが一番の原因のような気がしますが、出資する側が脚本段階で気付かなかったのか、気付くほどの見識がないのか、または気付いても言わなかったのか、どちらにしても残念であります。

私の勝手な想像だと、TVドラマの『スペック』等で実績のある堤幸彦監督が社会問題を扱った映画を撮るんだから、ある程度興行的には失敗はしないだろうと高を括り、評判が悪かったら監督の責任だし、出来が悪くても下手に駄目を出して揉めたところでせっかくの映画がお蔵入りになるかもしれないし、それに別のこだわり強い監督なんかに頼んだら時間も金も沢山かかりそうだし、まあこの辺で手を打っておくか、

だと思ってます。

あとは、集団心理的に、これをいい作品だとしておこう、のような圧力というか忖度が制作側の人間たちにあるのだと思います。

映画製作に携わる皆さんは映画やドラマ、小説、演劇、様々な芸術作品を観ている方々ばかりだと推測していますし、実際にそうなのでしょう。
そういった人々が、こういう作品を観て満足してるとは思えません。
脚本を読んだ段階で、創り方次第では面白いものになる位は考えていて、そして完成して試写を観た段階で「これはちょっと違うんじゃないですか?」と製作者側に問題提起する人はおらず、みんな何となく拍手して監督と握手して自分を騙して大人しく長いものに巻かれているのだと勝手に想像をしています。

更に、いま業界内では、日本映画を盛り上げようという動きが随分前から大きくなっているように勝手に想像しています。
アメリカや西洋諸国は仕方ないとしても、他のアジア、主に韓国、中国に負けるな、という機運が強く日本映画界にあると思っています。

こっちも負けずにいい作品を創るぞ、と掛け声はかけるけど、そういえばあういう感じに面白く創るノウハウもないし時間もお金もないし、役者も本格的なのいないし、じゃあ今までどおりで、みたいになっていそうな気がいつもしています。

一番不安なのは、日本映画に対して厳しい感想を言う人が減っているんじゃないかと感じていることです。

と、一番下っ端のクソみたいな脚本家が妬み根性全開で語っています。恐ろしいですね。

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