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「可愛いは正義」に対するとりとめのない考え
「男も女も大事なのは可愛さや」
飲み会の席で人生の大ベテランA氏が言い放った言葉である。どんな文脈だったかは覚えていない。いや、そもそも脈絡などなく、本当に唐突に言い放った言葉だったような気さえする。
A氏は私と同業の人間にはとても有名な人物だったりする。だが現在は大阪府T市の元市長のような名言を残して再雇用を受けずに退職してしまった。
仕事の鬼のように思われていたA氏だが、実は結婚というものに関しても熱い持論をお持ちのようだった。
クレバーかと思えば頑迷固陋な一面も持ち合わせるA氏の言葉。そのすべてが正しいとは思っていないが、これに関しては本当に言い得て妙だなと思ったものである。
今風に言えば「可愛いは正義」ということになるのだろうか。ググってみると『苺ましまろ』なる漫画が元ネタらしい。
20年近く前の作品とのことで、その意味するところは「可愛ければ許される」のようだ。言葉のニュアンスを私が正しく理解しているとは思っていないが、おそらくそう遠くない解釈をしているのではないかとも思う。
似たような言葉を70近い女性が言うのだから不思議な信憑性を感じてしまう。
さて、可愛ければ許されるものだろうか。確かに大の大人がすれば怒ってしまうことも子供が相手なら許してしまうということはある。
「まあまだ子供だしね」
「そういうやんちゃなところがまた可愛い」
と言った具合である。そこに内包される感情には様々な解釈があり得るだろうが、子供、殊に赤ちゃんや幼児になると無条件に可愛いと思ってしまうことも多いのではなかろうか。
もちろん、日夜暴れん坊な子供たちの育児に勤しんでいるパパママ、そしてその経験者によっては「みんながみんな可愛いとは思えない時もあるよ」とおっしゃられる人もいる。ごもっともだろう。世間の育児を頑張ってるパパママたちには頭が下がる思いである。
では「可愛いは正義」は大人の男女にも適用され得るのだろうか。おそらく間違いない気がする。男は美人に甘いだろうし、女もイケメンに弱いかもしれない。当然人には好みというものがあるし、男ならみんな美人に甘いと言い切るつもりもない。
「ブスだけど性格がいい子と、性格悪いけど可愛い子のどっちがいい?」
は究極の2択問題の典型的なそれである(これは異性愛者男性向けの質問と取るべきか)。ここで言う「可愛い」は外見のことを表すと見ていい。ここまでシンプルにしてしまえばわかりやすい話で、後者を選ぶ男性は「可愛ければ性格の悪さも許せる」と考えているのだろう。もっともこの質問は前者を選ぶのが模範解答という空気もあるため、答えをそのまま受け止めるのも難しいように思う。
しかし私はいつも気になるのである。ここで言う可愛いとはルックスだけを指すものかと。恋愛において「僕は相手が可愛ければ許す」という人がいて、それが容姿だけの話なら、早晩その恋愛感情は消え失せるような気がするのである。
「可愛いとは何か」という哲学的な議論に入っていく紙幅はないが、もしそれが容姿のことだけを指すのなら、美少女だっていつかは年老いて外見も変わっていくはずである。本当に歳を重ねても「可愛いから許す」と言い続けることができるのか。結婚生活という長いインターバルを考慮しての発言ではないかもしれない。しかし交際数カ月で容姿が突然変わることだって起こり得るはずである。刹那的な関係を求めている可能性も否定できないが、永久に美貌が損なわれないのは二次元の世界だけである。
なにを今さら当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれない。しかしここで言う「可愛い」を単純にルックスだけの話と捉えることはできない。いくつになっても美男美女を追いかける人々を擁護する気はないが(ダメとも言わないが)、ここでいう「可愛い」には外見以外の要素も少なからず含まれていると見るべきだろう。
そこで思い出すのが、ある介護士の方の言葉である。
「同じことをしても"なんでそんなことするの!"と怒られる人と、"も〜しょうがないな〜"と許される人がいる。後者になりたいものね」
これは介護士がサービス利用者に対してだけ思う言葉だと受け取るのは早計だろう。ただ可愛いお年寄りというのもいるだろうし、それを美貌の話とはまず思わないはずである。
では容姿(美貌)と完全に切り離せないまでも、人はどんな人を可愛いと思うのだろうか。
よく言われるのだが、私は年下に甘い。しかも2〜3歳離れていれば女子にも男子にも甘い。単純に年下だと可愛いと思っている気がする。
またこれはかつての職場の話だが、脱力系の方がいて、その緩さには同僚の中でも賛否があった。「その緩さがたまらない」という肯定派と「イライラする」という否定派がいて、前者はみんな可愛いと思っていたと思う。
飲食店などでサービスを受けていて、朴訥な従業員を「愛想がない」と取るか「いい人そう」と取るかは人それぞれだろう。おっちょこちょいな店員はほぼマイナス印象だが、そこが可愛いと思う人もいるに違いない。こういうところは外見よりもはっきり好みが出そうである。
外見だけが重要という人を吊し上げたいわけではない。ただ先日読んだ本に「夫に直してほしいことも多々あるが、可愛いから許してしまう」という一文を見て「可愛いとは正義とは何か?」を改めて考えてみたくなった。
本当にとりとめがなかったし、これに関していろいろご意見のある方もいることだろう。
今後きちんと考えてみたいテーマである。
それにしても、である。
昔友人に「あんたは絶対年下と付き合った方がいい」と言われた理由が最近ようやくわかってきた気がする(笑)
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