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夫選びも楽じゃない

新卒で勤務した職場ではいろいろなことを学んだ。なかでも一番印象に残っているのがパートの女性たちの言葉である。

今思えば既婚40〜50代のパートの女性たちがあれほど集まっている職場は後にはなく、結婚生活の難しさを学んだように思う。というより結婚の夢(そんなものなかった気もするが)が打ち砕かれた感じである。

もちろん家庭や夫婦ごとに事情は違うだろう。仲のいい夫婦もたくさんいたし、後の職場ではこういう話はあまり聞かなかった(ただし独身率の高い職場ばかり)。

パートの女性たちが言った衝撃的な言葉


例えば最初にショックだったのがこのやり取り。

A「別部署の○○さん、仕事の都合で週1回しか家に帰れてないらしいよ」

B「嘘ー。週1回なら(夫が家にいても)耐えられるかも」

(夫は週2日家にいるだけでつらいものなのか……)


似たような会話で言えば、

C「ところでDさん、なぜパートで働いてるの? 社長夫人よね?」

D「家にいると(夫と)ケンカするから……」

ちなみに夫には家にいろと言われているらしかった。

長年いっしょにいればケンカもしてしまうものなのかもしれないが。

私が結婚についてなによりまず相性が大事だと思っているのは、この職場でのことがあるのかもしれない。もちろん年収や外見も大事なのはわかっているが、夫婦仲がよくないと結局別れてしまう気がするのである。こんなことを言えば当然こう返ってくるだろう。

「銭がないと夫婦仲も悪くなるよ」

「外見がよいと相手のことも許せるかもよ」

一理あると思う。第一うまくいくかどうか最初からわかっていたらみんなその相手を選んでいるだろう(もちろん情熱的な愛を貫いて明日の見えぬ結婚を選ぶ人もいるはずだが)。
そんな甘いこと考えてるから未だに独身なんだよ。はっはっは(渇笑)

まあ冗談はさておき。
今もどういう意味なのかわからないパートさんの言葉がある。正直に言ってこれが一番記憶に深く刻まれている。

「男の人は若い頃苦労せんとあかん」

「うちの旦那は若い頃苦労した人やから楽やわ」

「いいなー、うちの旦那は苦労知らずやから全然ダメやわ」

この言葉を聞いて「若い頃に苦労した男って何なんだ?」と考えた。
今もその言葉の本質はよくわからない。あの人たちもそれぞれ別の意味で言っていたのかもしれない。

あの言葉から10年ほど経つが、周囲に結婚している人間はあまりいない。なぜならほとんどが都会に出ていってしまったか、早くに離婚してまた独身に戻っているためだ。そのなかでいい夫だなぁと思える今も交流のある友人は2人だけだ。

ここで言う「いい夫」はあくまで私の考えである。どちらも子供の面倒をきちんと見ているし、家計を支えながら家事分担も妻に任せきりにせずきちんとこなしている。特に子育て参加に関してはどちらの妻も太鼓判を押すほどである。

貧しくて苦労をした人


ひとりは貧しい家庭に育った人で、経済観念がきちんとしている。そんな理由から自分のもつ家庭には夢を持っており、自活能力も高い。ただし料理だけはあまりできない気がする。

独身時代の彼を知っているから言えるが、彼は料理ができないのではなく、あえてしなかったのだと思う。というのも「料理はコスパが悪い」と思っていたきらいがあるのだ。肉じゃがやハンバーグ、餃子もコロッケもわざわざ手作りしなくてもスーパーに売っているし、その方が安くあがることは事実だろう。だが結婚して妻に「わざわざ作るな」とまでは言わないのが彼の優しさ(?)なのだろうか。彼の妻は家庭的な妻像に憧れが強いようだ。

お金に細かい人は煙たがられるものだが、個人的には彼はそこまでひどくはないと思う(友人だから贔屓しているかもしれない)。それに大学時代の友人が母親に「お父さんはお金の管理をきちんとできる人だったからよかったと思っている」と言われた経験があると話していたし、こればかりは悪い面とは言い切れないだろう。

とはいえ彼ぐらいならまだしも、嫌がられる男女ランキング筆頭の「割り勘が1円単位の人」となると私は無理かもしれない(そういう人に家計管理を頼めれば最強だ)。

これは彼に限らない。最近は片親のもとで育つ子供が多いし、話を聞いていると経済的に困窮しているのだろうなと思う子も多い。かれらは男女関係なく家事がよくできる子が多いように思う。それがいいことであるとはなかなか言いづらいのだが。


仕事で認められなかった人

優秀なのにまるで仕事で認められず、低賃金を理由に三十代半ばに結婚とともに転職した友人がいる。今の職場ではその働きぶりを評価されて楽しそうである。事務処理能力が高く子供好きのため、いい夫およびパパぶりを発揮している。

ただそれでも妻には時折怒られているらしい。彼の妻とはずいぶん会っていないので理由はわからないが、彼の至らなさもあると思う。

苦労した男性とは何なのか?


ここで私の考えを述べたい。未だにパートさんの言葉に解を与えられない人間の意見なので、反論の余地はいくらでも見つかるだろう。

今の日本は男性社会である。昔よりは幾分ましになったとされるが、それでもまだまだ男性優位な社会であることは違いないだろう。

しかし思うのは、男性同士はいつだって競争しているということだ。男性優位の社会は勝ち続ける男たちに最適化されているため、そこからこぼれ落ちる欠点の多い男は結構悲惨な人生を送る。

だから勝ち続ける男性はほとんど苦労を知らずに生きられるのだと思う。それゆえ女性の生きる苦労なんてわからないのではあるまいか。
逆に挫折や苦労を味わった男性はプライドがずたずで幸福度も低い。そこで這い上がってくる男性はこの世の不条理を知ってしまっているから、女性の苦労も理解できるのではないか。

しかし挫折から立ち上がれる男性がどれほどいるものか。そういう人がルサンチマンの塊になり、「(人生に負けた)男の苦労は女にはわからない」とフェミニストに噛み付くようになるのかもしれない。

もちろん勝ち続ける男性は概ね仕事ができるし年収も高い。そういう相手と結婚すればラッキーなのかもしれない。

逆に挫折する人は仕事ができない人が多いだろうし、(本当に不条理でやりきれないが)貧しい家庭に生まれた人は学歴も低くなりがちである。年収も低くなるだろう。

だが仕事も家事も育児もバリバリにこなす優秀な男性もいるだろう。逆に挫折を越えられず性格がひん曲がってしまう男性もいるはずである。仮に私の考えが正しかったとすれば前提は崩れ落ちてしまうかもしれない。

ここまで書いてきて思うのは、ジェンダーを単純化して語り過ぎているということだ。自分の考えが普遍的なものだとも、それなりの合理性がある話だとも今は思えない。だが、パートの女性たちはこう言いたかったのではないか。そんな気がしている。

結婚生活を続けていけば思うこともあるのだろうか。


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