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善意のサービスが当たり前になる悲劇

 先日、ネット記事で酷い話を見ました。子連れのお母さんが、スーパーで買い物をし精算後カゴを運んでくれなかったことに腹を立てて、コラー!と怒鳴り付けたという話でした。
 その後、店員はすみませんと言ったものの、また元のレジ業務に戻り対応しなかったそう。それに更に怒り、もう一度怒鳴ったそうです。まさに最悪のクレーマー。
 子供がいると荷物を持つのも大変なので、清算後のかごを運んでてくれたらありがたいのは分かります。しかし、記事でははっきりとはわかりませんが、くだんの店員さんがそれを行わなかったということは、おそらくマニュアルにはないサービスなのだと思われます。
 ただ、クレーマーにとってはそれはやって当たり前のサービスだった。そのお互いの齟齬がこの不愉快な話の原因でしょう。
 確かに、スーパーでは高齢の方の精算後のカゴを店員さんが運んであげたり、袋詰めを代わりにしてあげたりという光景はたまに見ます。

 私はスーパーに勤めたことないのでわかりませんが、これはおそらくレジ係のスタッフさんの善意から行われているサービスでしょう。この純粋な善意から行われたサービスがクレームを生み出してしまうというのは、皮肉なものです。

 私自身、自転車屋に自転車屋をやっていますか、過剰なサービスは全てやめました。上の話にも通じることですが、過剰なサービスが当たり前になった時、それをやらないことがマイナスになってしまうというのが非常に大きなデメリットです。
 空気を無料で入れてあげる、自転車の修理の際についでに清掃をしてあげる、これらはお客さんに非常に喜ばれるのですが、長いことを続けていくと当たり前になってしまい、忙しくてできなかった時などはサービス不足であるかのように言われてしまいます。こうなると、顧客満足度を上げるためのサービスではなくなってしまいます。

 私は100点のサービスよりも、いつ行っても80点のサービスが出てくる店が一番いいと思っています。
 お客さん一人あたりの単価がすごく高いか、切羽詰まってなんでもいいから、とにかくお客さんをかき集めたいと言う状況ではない限り、過剰なサービスはやめた方がいいです。

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