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液体ミルクの誤解

僕は今年から助産師さんと一緒に歯科医院での母乳外来を始めました。

「母乳育児支援をする」というだけで「ミルクを否定している」と受け取る方もいらっしゃるのですがもちろんそうではありません。
本記事も液体ミルクそのものを否定するものではありません
実際の現場ではできる限りその方の背景や希望に沿った支援をさせていただいておりますが、noteという記事媒体ではあくまでも一般論となりますのでご理解ください。

まず、この記事の内容をもっとシンプルに学びたい!という方はあんどうりすさんが作ってくださったこちらのマンガがおすすめです。

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日本での液体ミルク導入の経緯

本題ですが、液体ミルクは災害時を想定して国内にも導入されました。
その導入までには一般のママの署名活動などがきっかけになったと認識しています。
その後、熊本の震災の救援物資としての輸入等を経て必要性が認識され、各学会の承認のもと厚労省が省令を施行し、メーカーが製造を開始しました。

難点としては、粉ミルクより割高で、なによりもその賞味期限の短さがあります。
加えて、WHOの国際規準1)がありますので原則的に母乳代用品は広告をすることができません
国内はその点はかなり野放しですが、それでも他の食品同様の表立った宣伝はしづらい。
企業も苦慮しただろうと思います。

そのため、まだ案の段階であった授乳・離乳の支援ガイドを利用して販促記事が出されたり、賞味期限が近い商品を妊婦にプレゼントする企画が出されるなど物議を醸すこともしばしばありました(キャンペーンは指摘を受け中止)。

災害時の備蓄としても、賞味期限が短いので公で大量にストックするにはコストがかかってしまいます。
解決策としては「日常から使ってもらうこと」にどうしても結びつきます。
ここが一番の問題点です。

ミルクを飲ませた分、母乳は出なくなる。

母乳は、産後7日目頃まではホルモンによって分泌が調整されます(エンドクリンコントロール)。
そして、その後は飲ませた量に応じて母乳が作られる「オートクリンコントロール」に変わっていきます。
平時において本来不要であるミルクを与えてしまうと、そのぶん母乳は作られなくなり、またミルクを与えるという負のループに陥り、母乳育児の妨げとなってしまう可能性があるのです。

普段から粉ミルクを使っている方が液体ミルクに替えるぶんには問題はありません。
しかし、今回発端となったマイナビの記事のように「災害時は母乳が出なくなる」という誤認がそのまま書かれると「母乳は災害時に不利」という誤認につながったり、母乳育児の方が日常から液体ミルクを使う方向につながったり、母乳育児そのものへの弊害を生んでしまいます。

母乳育児は災害時に不利という誤解

今回の記事の件でも「完母だと災害時に不利」という誤解がやはり出てしまっていました。
そうして平時の母乳育児にまで影響を及ぼしてしまうことも問題です。
NHKのまとめを見つけました。

「災害に備えてミルクに慣らしたほうがいい」は間違い

とあります。
マイナビの記事にもあった「災害時のストレスで母乳が出なくなる」というような誤認から「災害時に備えてミルクに慣らす」となってしまうものと思われますが、この現象は先に示したオートクリンコントロールと同じくホルモンの影響で説明されます。

母乳分泌にはプロラクチンとオキシトシンというホルモンが関わっており、オキシトシンはストレス下では分泌が低下しますので、お母さんは一時的に母乳の出が悪くなったと感じてしまうかもしれません。しかし、授乳を続けることで母乳の量は必ず回復してきます。
NHKのまとめにもあるように、大切なのは母乳をあげ続けられる落ち着いた環境を用意することです。
必要なのは「まず液体ミルク」ではありません。
慌てて液体ミルクを与えてしまうと、オートクリンコントロールにより母乳の分泌がさらに低下し、本当にミルクが必要な状況が継続してしまう可能性が高まります。
後半で述べますが、液体ミルクはその賞味期限の短さなどから災害時は希少となる可能性が高いですから、よりハイリスクな状況に陥ってしまいます

落ち着いた環境が用意できるとは限りませんので母乳育児の方に液体ミルクが常に不要というわけでももちろんありません。
しかし落ち着いた環境が用意できない状況で液体ミルクが行き渡るかというとそれも難しい。
ですので、正しい知識を持って賞味期限が過ぎたら棄てるつもりで万が一に備えておくことまで否定するつもりは全くありません。
液体ミルクを使用する際にも安全のためにいくらか気をつけることがありますので、こちらのチェックリスト2)もご参照ください。
印刷して一緒に保管しておくと良いと思います。
特に、災害時は残ったミルクが勿体なく感じてしまい、余りを保存したくなると思います。
飲み残したミルクは細菌が繁殖して、命の危険にも繋がりますので、必ず破棄するようにしてください。

災害時こそまず母乳

認定NPO法人レスキューストックヤード作成の資料3)には
「母乳には免疫物質が含まれ、赤ちゃんを下痢や感染症から守ります。インフルエンザやノロウィルスなどが蔓延しやすい避難所では、特に母乳の効果は大きく、過去の災害では母乳を飲ませていた子どもの方が下痢や感染症になる率が低かったと報告されています。」
とあります。

母乳と感染症などについては米国小児科学会のポリシーステートメント4)によくまとめられています。

日本栄養士会災害支援チームによる手引き5)には

「感染症の予防の観点から母乳が勧められます。」

「(母乳代替食品を)一律に推奨したり、安易に進めることは避け、
母乳代替食品の使用は慎重に行いましょう。」

とあり、こちらは厚労省の授乳・離乳の支援ガイドにも引用されています。

公の方針は普段母乳育児の方にはまず母乳育児の支援をする方向性となっていると思います。
男女共同参画局の防災・復興ガイドライン6)の授乳の項目がわかりやすいです。

液体ミルクは希少な物資

液体ミルクがミルクを必要とする児にとって大きな恩恵を与えることは間違いありません。
個人での備えには限界がありますので、公による備蓄も期待されるところです。

国から自治体へのミルクの備蓄の依頼はこのような形で出されています。
ローリングストックにより活用することが書かれていますが、あくまで自治体での対応に関するもので、各家庭で母乳育児をしている児に与えてしまうと上記のように母乳育児の妨げになる可能性があります。

自治体での具体例はこちらにあります。
賞味期限が短い欠点を様々な工夫で補い備蓄を試みてくれています。
箕面市のように保育所での備蓄がローリングストックの好例です。
平時からミルクが必要な児に用いてローリングストックをしています。
ただいずれにしても、その数を見ていただければ分かるように災害時には希少な物資となるであろうことが想像されます。

減災と男女共同参画研修推進センターは、災害時のアセスメントの重要性を発信し、ミルクの一律配布の危険性をまとめています。
被害を拡大させないためにも、災害時の適切なアセスメントと支援はとても大切です。
男女共同参画局の防災・復興ガイドライン6)の授乳アセスメントシートではこのような流れになっています。

授乳アセスメント


平時に母乳育児を実践している方が、災害時、「母乳が止まるかも」「減った気がする」と液体ミルクを使用しさらに母乳分泌が減ってしまえば本当にミルクが必要になる状況が継続し、より急速に物資が枯渇します。
こうした状況を避けるためにも、今回きっかけとなった記事のように誤認を深めるものは看過してはならないし、液体ミルクを販促する企業主導の発信は平時からの母乳育児の妨げとなり、WHOの国際規準が示す通り不適切です。

本当に液体ミルクが必要な児を守るためにも、適切な対応が必要

IFEコアグループの手引き7)にもあるように、母乳で育てられていない乳児は災害時においてハイリスクとして扱われます。
必要なところに必要な物資を届けるためにも、正しい知識と正しいアセスメント、そして正しい支援が必要です。
医療従事者はもちろん、一般の方にも知っておいていただきたい知識です。

様々な資料を引用させていただきましたが、JALCのこちらのページにとてもよくまとめられていますのでぜひご参照ください。
https://jalc-net.jp/hisai/hisai_support.html

母乳育児に関する本来のご専門は産科、小児科の医師や助産師、看護師の方々です。
僕自身に誤認があったり誤った発信があればご指摘いただければ幸いです。
願わくば、歯科医療従事者も平時から母乳育児支援を。
それができたら母乳育児で悩む方を減らし、災害時にも強い土台作りにもなると思うのです。

1) International Code of Marketing of Breast-milk Substitutes, Geneva: World Health Organization; 1981.
2) 「液体ミルクを使用するお母さま、ご家族の方へ 災害時に安心して使うためのチェックリスト」 母と子の育児支援ネットワーク 2020
3) 「できることからはじめよう!避難所運営の知恵袋・改訂版(P25抜粋)」 認定NPO法人レスキューストックヤード 2018
4) Gartner LM, Morton J, Lawrence RA, Naylor AJ, O'Hare D, Schanler RJ, Eidelman AI; American Academy of Pediatrics Section on Breastfeeding. Breastfeeding and the use of human milk. Pediatrics. 2005 Feb;115(2):496-506. doi: 10.1542/peds.2004-2491. PMID: 15687461.
5) 「赤ちゃん防災プロジェクト ~JAPAN PROTECT BABY IN DISASTER PROJECT~」 災害時における乳幼児の栄養支援の手引き 日本栄養士会災害支援チーム 2019
6) 「災害対応力を強化する女性の視点~男女共同参画の視点からの防災・復興ガイドライン~」 内閣府男女共同参画局 2020
7) 「災害時における乳幼児栄養:災害救援スタッフと管理者のための活動の手引き」第3版 IFEコアグループ 2017

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