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序章―私が文章を綴る理由

 誰しもそうだと思います。子どもの頃好きだったことの中で、大人になっても続けていることと、もうやめてしまったことがあるのではないでしょうか。
 私の場合、例えば絵を描くこと。小さな頃から絵を描くことが好きで、兄や友だちと一緒に絵を描いたり、交換したりしました。
 人物だけでなく、お題を決めて服のデザインを考えるのも好きで、友達との間でお題を出し合ってたくさん描いたものでした。
 物語の設定を空想することも大好きで、自分のオリジナルキャラクターの絵を描いてみたりもしました。
 でも、私は顔から下が描けないという典型的なパターンでつまづいちゃったんですね。大人になるにつれ絵を描くことはなくなっていきました。

 一方、文章を書くことも昔から好きでした。誰もが嫌いな読書感想文が、私は大好きでした。内向的な私が、自分の考えを誰の目を気にすることもなくお披露目できる場所だったからかもしれません。
 しかも学校で何度か表彰されたものだから、『認めてもらえた』のが嬉しくて、ますます書くことが好きになっていきました。
 今ではすっかり過去のことだけれど、中学生の時には「少年少女の主張大会」みたいな作文演説コンテストのようなものがあって、学校でたった一人の代表者として選ばれました。
 俳句コンクールで最優秀賞を取ったり、ネットで公募されていた詩のコンクールで入賞したこともありました。
 自慢じみたことをつらつら書いてしまいましたが、私には文才があるとは思っていません。ただ、同じ年頃の周りの人よりは少しだけ、文章を書くことが上手だったというだけの話です。

 けれど、自信はなくとも、大人になった今でもこうして文章を書いています。
 顔やスタイルがいいわけでも、喋るのが上手なわけでもなく、運動神経も鈍く絵も下手で、ほかに取柄なんてありません。書くことすら取柄と呼んでいいのか分かりません。
 でも書くことが、私が私を表現する唯一の方法なんだと思います。そしてそれを、親や周りの人は認めてくれました。
 だから、『続けてもいいんだ』『続けたい』と思えたんだと思います。
 文章を綴ることすら否定されていたら、私には一体なにが残っていただろう、と思うのです。

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