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あきらめるか、もしくは誰かに愛してもらうしかないもの

1.
残念なことに最初に奥歯が痛みはじめたのは新婚旅行先で訪れたハワイのスペイン料理店だった。
知り合いから紹介されたその店はワイキキのメイン通りから一本脇に入ったところにある本格的なスペイン料理の店で世界中の観光客が訪れる人気の店ということだった。

地元のブリュワリーのビールを楽しみつつ丁寧な仕込みのパエリアの海老を味わっていたところ激しい痛みに左の奥歯が襲われた。

2.
2度目に異変に気づいたのはトルコのカッパドキアで乗った気球の上だった。
無数の気球が平等に朝日の光を浴びている間僕はひとり染みるような左肘の痛みに苦しんでいた。

3.
その後もいろんな場所を訪れるたびに僕のあらゆる部位は痛みを発した。
苦しすぎて机を叩きうしろの観光客を驚かせてしまう時もあれば、眠ってしまえばどこが痛かったか思い出せない程度の時もあった。
時にこの痛みは遅れてきた成長痛ではないかと思うこともあったがまぁそんなことはなかった。

4.
初めて痛みと一緒に旅先を訪れ始めてからかなりの月日が経った。
今となってはどこかの誰かがどうしても約束の時間に遅刻してしまうように、人前で緊張して自分が考えていることをうまく話すことができないように僕にとって痛みは僕自身を表す人格のようなものになっていた。
それはいずれ治るものかもしれないし、なくなってしまえば少し悲しくなるものかもしれない。

5.
遠く青白い雪原の中を一本の鉛筆のようにまっすぐな列車が走っている。
その中で若いふたりがお互いの身の上話をしている。互いに自分の悩みを打ち明けると意外と似ていることがわかりふたりはまたいつか会う約束を交わす。
自分にとっての不都合は誰かに愛される場所になりえるのかもしれない。

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