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日本って豊かな割に生きにくいのはなんで?っていう話

最近はストレス社会で生きにくい。
みたいな話よく聞きますよね。
その割に何が原因でストレス社会になっているんだ?
みたいな話はあまり聞いたことがないような気がします。
議論はストレス社会にどう対応していくか。みたいな部分ばかり。
いやまぁ、結論から申しますと
要因の部分なんて知ったところでどうすることもできないので、
メディアの煽り方、特集の仕方としては、「どう対処するか」にスポットを当てることが正しいのだとは思います。
ただですね。
知らなくてもいいから知らされていないことを知らないままでいいとは私は思いませんので、
今回の記事はその辺を考えていきたいと思います。

ストレス社会で生きにくい世の中になってきたよね
なんてことはずっと言われていることですので、特に気にも留めずのうのうと生きてきたわけですが、とあるデータをみて違和感を抱いたんですよね。
それがこちらです。


コチラのデータは日本における精神障害者数の推移です。
あーめっちゃ増えてるなぁ
これがストレス社会か~
みたいな印象受けますよね。

でも

日本の人口って右肩下がりに減り続けているのに
精神障害者は右肩上がりって
異様すぎない?ってふと思ったんですよね。
死者よりも出生のほうが少ないわけです。(当たり前ですね)
で、精神障害者と言われる方たちの中には
心を病んでいる方も当然多いと思います。
そういった方は自死という選択をとる方もいます。
つまりですね。
精神障害者の数というのは人口減少以上に少なくなりやすい性質をしているのにも関わらず、右肩上がりなんです。
福祉でどうとかいう世の中だと思いますが、
公共福祉でなんとか支えようと思っても、多分予算いくらあっても足りないんじゃないですかね。これ・・・。

ということで、
冒頭にも述べた話に戻りますが、
対処法ばっかり考えてても仕方ないので、
根本の部分がどうなっているのか今一度考えてみませんか
と精神保健の福祉に携わっている方に訴えたい。

まずは精神障害者が増える要因から考えます。
要因としては大きく二つ。
①精神疾患に関する理解が進んできた
②ストレス社会
これらを考えました。
以下に詳しく書いていきます。

精神疾患に関する理解が進んできた。

これはとてもよいことですね。
高齢者世代になると精神疾患については「キチガイ」と認識している方も多く、精神病院などは地元でキチガイ病院と呼ばれていることも多いと聞きます。
そのような状況ですと当然自分に心の不調があっても、精神科へ受診しようなどとは思いませんし、
家族が不調になったとしても、近隣住民からの目が気になり、家族で抱え込むというような状況になっていたでしょう。
なので、心に不調を抱えた人がきちんと精神科に受診し、治療を受けられるようになってきたというのは、日ごろから精神保健活動に関わってきた方々の努力によるものだと思いますし、住みよい社会に変化してきたということでしょう。

世の中が心の病みやすい環境になっている(ストレス社会)

こちらが今回のメイントピックになりますね。
日本は先進国であり、衣食住にそうそう困ることがなく、
世界的に見れば豊かで余裕のある「幸せな国」という位置づけにあるはずですが、実際は病みやすく、幸せじゃない
という不可解な状況なわけです。

仮説①豊かであるがゆえに不幸となる。

動物やかつての日本もそうであったように、
豊かでない場合
その日一日生きるのに必死になるわけです。
必死にマンモスを追いかけ、必死に畑を耕し・・・。
その日の食い扶持を維持するために努力をします。
死にたいと思う間もなく、何もしなければ死ねるでしょう。
しかし、豊かであれば
生きるためにそうそう必死になる必要もなく
生きるというありがたみ、種としての本能みたいなものを見失い。
さぞ、死ぬことが個人の権利、選んだものが死ぬことができる
というような特別なもののように感じるようになってしまうのではないでしょうか。

また、貧しければ、自分の役割ははっきりしています。
食料を確保するために狩りをする。畑を耕す。
それだけで、自分の役割がはっきりするわけです。
しかし、三次産業がメインとなった日本においては
食料を得るために死に物狂いで働くというよりは、娯楽のために働いているというのがメインだと思います。
食料を十分に確保できるだけの収入があったとしても、周りを見ればそれにプラス娯楽を楽しんでいる人で溢れており、
「相対的に自分は不幸だ。こんな惨めな思いをしながら生きていてもしょうがない」
というような考えになるでしょう。

環境が豊かであるがゆえに、相対的に不幸になるわけです。


仮説②便利なツールに人間がついていけていない。

今の仕事と言いますと
ほぼコンピューターを使うものがメインだと思います。
統計だって
かつては手計算で行われていたものでも
現代では
数式を入力することであっという間に統計を取ることができます。

昔は手で数えることですら大変な仕事としてやっていた人が別の仕事をしないといけなくなるわけですね。
昔と今の違いというと
誰にでもできる簡単な仕事というものはほぼAIや機械に奪われてしまったわけです。
つまり、仕事をする上で必要とされる最低限の知能が引き上げられてしまっているといってもいいような気がします。
そうなると
今までIQが80程度の人でも立派に仕事をして満足に生きていた人たちは、
現代のハイテクノロジー環境についていけず、
「仕事ができない」とか「要領が悪い」
と言われ、生きにくいと感じることでしょう。

仮説③昔に比べて1時間あたりにしなければならない仕事が増えている。

この件については、私自身も仕事をしているうえで、若干感じていることではあるのですが、
「なんか雰囲気で仕事してる感出して誤魔化してない?」
ということです。
仕事をする上で、ノルマというものがあって、
前年を越えるように何か目標を立てさせられたりしますよね。
企業の業績を見ていても右肩上がりなのは、前年とは違って新しい努力をしているからだろうなと推測させられます。
つまり、
「去年あんなことやったよな?じゃあ今年はなにやんの?」
と前年と同じことをしているだけでは認めてもらえないというか、
毎年なんらかのプラスα、新しいことを求められるわけです。
おそらく優秀な人間であれば、長期的に目標を立てて、毎年、「今年はこれ、来年はあれ、再来年にはあんなことしよう!」と少しずつ適切な方法で改善していくような仕事をしていくでしょうが、
そうではない人は、特に目標とかを見ているわけではなく、目先の出来事に重きを置いているので、
毎年、「あぁー今年はなにしよー」と悩むわけです。
その結果、とりあえずなんらかするわけで、
それが効率的かとか、前年度からつながっているかとか
そんなことは関係なく、
本人の「仕事してる感」のために仕事が増えます。
例えばですけど、
なんかのチェックシートを突然作るとかですかね。
仕事としては
AすればBという成果物が得られるというものに対して
AしてCのチェックをしてBという成果物が得られる。
みたいな仕事になるわけです。
AすればBという仕事をキャパシティギリギリでやってた人にとっては、Cという手間が加えられることで、仕事の進捗が遅れ、しんどい思いをしたり、クオリティが下がるというなんとも残念なことになってしまいます。
必要なことがあって仕事が生まれるとは思うのですが、
そうやって長年続けていると、どんどん煮詰まってきてしまって
必要なことはもうないのに、なにかしないといけないと思った人が余計なことをして仕事を増やすという仕事をするために作業が膨大になり、
ついていけない人が現れるというのが要因の一つとしてあるのではないかと思います。

まとめ

ストレス社会となっている要因には、①人と比べて不幸に感じる。②ハイテク社会についていけない人がいる。③無駄に増やされただけの仕事が存在する。この3点を考えました。
学校などの要因を考慮しておりませんが、学校に行くような世代は親からの影響が大きいと思いますので、親がストレス社会に疲弊していると子に対してなんらかの影響が及ぼされていると考えております。
構図としては、
親が疲弊する→力の弱い子に当たる→子が生きづらくなる
というものですね。
そのため、根源は大人の社会構造であると思いますので、学校社会での要因は除外しました。

生きづらさを感じる人を減らすためには、しっかりと優秀な人間が上に立ち、凡庸な人間を適切に導いていく社会構造が必要だと思います。
つまり、年功序列とかクソくらえです。
現場で仕事のできる人が人を管理できるとは限りません。
現場よりも人のマネジメントが向いている人もいるでしょう。
日本の社会構造では、現場で優秀な人が管理職に上げられていくとなっています。
しかし、現場で優秀な人というのは、自分が上手くできていたからほかの人間ができないわけない。という思考に陥り勝ちで、
成果がでないのはお前の努力が足りないからだろう
というような見当違いな評価を下してしまうリスクがあります。

人の上に立つ人に求められることは、
人間を適切な場所に配置すること。備え付けられた設備やシステムについて理解し、下の者がちゃんと使えるように導くこと。「やってる感」の仕事は整理して無駄な仕事を減らすこと
だと思います。

ということで私は
根性論を正義と勘違いしている人、新しいものに対してなんらかの屁理屈を述べて動こうとしない、変化を嫌う人
というような上司は全く尊敬できません。

環境がきつかったら、人は病むし、そうなったら余計人が減って環境がきつくなるという悪循環を繰り返すので、
そういった悪循環を起こさない
より良い社会を作れる人が上に立てば、
世の中の生きづらさみたいなものもマシになっていくんじゃないかなぁ
と思います。

優秀な方
是非より良い社会を作ってください。
凡庸な人間からのお願いです。



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