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腹割って話してる「風の」会話

会話には大きく分けて2種類ある。一つは、わたしたちがイメージする会話なので多くは書かない。
もう一つは、会話という体裁をとっているが、一方が相手のストーリーに合わせて相槌を入れたりするだけという、常套句による応酬のことである。便宜上、「会話のゾンビ」とでも呼んでみようか。
わたしは職場の上司と話すときに、この会話のゾンビ状態になっている。
上司はあくまで、うまくコミュニケーションをとっているつもりなのだろう。わたしはと言うと、上司の発言や喋り始めるタイミングを邪魔しないように終始注意を払いながら、一瞬の隙を見計らって、ちょっとした相槌や気の利いた返しを試みることで、「会話してる感」を演出している。
相槌のタイミングが上司の喋り始めるタイミングと被ってしまったり、こちらの返しが上司の思った内容でなかったときの、一瞬の沈黙が耐えられない。そのあと、変に気を遣った上司が「あ〜…」とか「うん〜」とか言おうものなら、もう気分は最悪だ。

以前、明らかに力関係のある友人と話していたときもそうだった。友人は強権的なところがあるし、わたしが下手なことを言ったり、友人の納得できないことを言ったりすると、理詰めで責めてくるところがある。
だからわたしは適当なことを言わないように、相手の発言にそのつど適切な返しをしていた。今度はそういうわたしの態度が気に食わないらしかった。
結局、あの友人は「怒りたい人」であり「うんざりしたい人」なんだなということで、自分を納得させた。

しかしやっぱり、相手に確固たる意志や先入観があると、わたしは会話のゾンビ状態に陥りやすいようだ。
友人の場合は、友人には自分が断じて正しいという思い込みがあったようだ。上司の場合は、わたしよりも上司の方が立場や力関係が上だという、前提や先入観がある。
相手が勝手に設定した前提や先入観があるから、相手は自分の話を遮られたり、自分の想定していた話の流れを崩されることを快く思わない。
わたしも確固たる意志を持って、自分で会話をコントロールできるようになればいいのだが、そんなにうまくいかないし、コミュニケーション能力もそこまで高くない。
それに、わたしのコミュニケーションのリズム感を慮ることなく、ずけずけと言葉を重ねてくる人と、腹を割った内容の会話をしようとは思わない。
しかしながらわたしはまだ、「だから彼ら/彼女たちとの会話は作業的に済ませて、会話のゾンビ状態であることへの悩みから、もっと自分にとって有用なことにエネルギーを使うようにしよう」となれるほど、思い切りのよい出来た人間ではないのである。

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