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食事に対する経済感覚の緩さ

わたしは、食費の支出が多い生活をしていると思う。
そうは言っても、高級なレストランやホテルに行ったり、ワンランク上の定食屋(?)に行ったりしているわけではない。ただ、外食をしたり、コンビニでアイスを買ったり、ラーメンをチャーハンセットにしたり、そういうことへの抵抗が少ないだけである。
周囲の人と、このあたりの感覚について共有することが少ないので、実際のところ自分の感覚がどんなものなのかはわからない。それに多くの知り合いとは、収入も実家の裕福さも、食費以外の経済感覚も違うだろう。だからそもそも、「食費に対する経済感覚の緩さ」という議論自体が不毛なものなのかもしれない。

空腹だったり寒い環境だったり、生命が脅かされている状況では集中力が増すのだと、高校のときに担任の教師が言っていた。
また、大きな出費をしたあとは、精神的に疲弊しているため判断力が鈍るのだと、何かで読んだ。だから販売者は、商品購入後にオプションの追加を売り込むらしい。最近クルマを買ったときにイヤというほど経験した。
そんないくつかの要因があって、わたしはついつい食費がかさんでしまうのだと思う。
自炊するよりも誰かが作った料理を食べる方が美味しいし、せっかく食べるのなら少しでも美味しいものでお腹を満たしたい。でも高級ホテルや高級デパートで、高いコースや高いケーキを食べるほどには振り切れていない。経済的な余裕もない。

経済的な余裕がないのであれば、自炊をすればいい、チャーハンセットやサラダセットを頼まなければいいのであるが、そうもいかない。
自炊をするのには、お金だけでなく時間もかかる。
牛丼やラーメンを単品を注文すると、もし足りなくて満腹になれなかったらどうしようという心配がよぎる。実際にはわたしは少食のため、満足できないということはない。だが、かつて学生時代に二郎系ラーメンを食べていた生活を経た感覚からすると、見た目の満足感と実際の満足感が一致していないことに問題がある気がする。
実際には牛丼(並)で腹一杯になれるのだが、牛丼(並)の写真は牛丼(大)の写真に比べても小さいし、「こんなにも空腹」な自分の胃袋を満たしてくれるには、あまりに心許ない。
それは、飲食店のメニュー作成担当による策略にまんまと引っかかっているのだと、あとから自覚して悲しい気持ちにもなる。しかしそれでもいいのだと。騙されていても構わないから、何も考えず食事にお金を費やさせてほしいと、同時に思うのである。

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